塑造弥勒仏坐像とは? わかりやすく解説

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塑造弥勒仏坐像(金堂安置)

主名称: 塑造弥勒仏坐像(金堂安置
指定番号 44
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

塑造弥勒仏坐像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:33 UTC 版)

當麻寺」の記事における「塑造弥勒仏坐像」の解説

国宝金堂本尊日本最古塑像像高219.7センチメートル如来形の弥勒像で、様式から當麻寺創建時7世紀末頃の作と推定され仏壇上に残る痕跡から、元は両脇侍像をしたがえ三尊形式であった推定される。像は箱型裳懸座宣字座)上に結跏趺坐し、台座前面裳裾広げる印相如来像に通有施無畏与願印右手は掌を正面にして挙げ左手は掌を上にして膝上に置く)だが、右腕前腕部の半ばから先と左手首から先は木製の後補で、当初からこの印相であったかどうか定かでないまた、金堂本尊の名称を弥勒とするのも、文献上は鎌倉時代の『建久御巡礼記』が初見で、当初から弥勒像として造像されたという確証はない。両膝部、胴部頭部3つのブロック積み重ねたような造形中国隋代その影響受けた新羅仏像彫刻中でも新羅軍威石窟三尊仏中尊との様式類似指摘されている。球形呈する頭部造形には天武天皇14年685年完成興福寺仏頭(旧山田寺講堂本尊)との類似指摘されている。 本像は塑像粘土製の彫像)であるが、表面には布貼りをし、錆漆塗った上に金箔張っている。金堂治承4年1181年)の兵火被害受けており、像表面金箔治承兵火以降のものとみられる。像本体台座密着しており、本体台座ともに内部構造詳細明らかでない1959年昭和34年)、台座修理伴って西川新次調査行っているが、その際報告書によると、台座内部構造日乾煉瓦積んだものであり、治承4年1181年)の兵火よるものとみられる焼痕台座内に残っているという。現状台座四隅木製隅柱があり、台座上下(かまち)、反花(かえりばな)なども木製のものが貼り付けられているが、これらは治承兵火以後のもので、当初台座表面はすべて塑土で仕上げていたとみられる。 像本体は、前述のように両手部分木製の後補であるほか、左腕両膝などの衣文漆喰状のもので修理した部分があり、明治期修理でも胸部などの損傷箇所大幅な修理が行われている。螺髪当初塑造であったが、木製の後補のものに代わり、それも大部分脱落している。光背平安時代後期鎌倉時代初期頃の木製である。以上のように、本像は後世補修部分が多いが、日本現存する最古塑像として貴重である。

※この「塑造弥勒仏坐像」の解説は、「當麻寺」の解説の一部です。
「塑造弥勒仏坐像」を含む「當麻寺」の記事については、「當麻寺」の概要を参照ください。

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