塑造四天王立像〈/(所在戒壇堂)〉
| 主名称: | 塑造四天王立像〈/(所在戒壇堂)〉 |
| 指定番号: | 34 |
| 枝番: | 00 |
| 指定年月日: | 1952.03.29(昭和27.03.29) |
| 国宝重文区分: | 国宝 |
| 部門・種別: | 彫刻 |
| ト書: | |
| 員数: | 4躯 |
| 時代区分: | 奈良 |
| 年代: | |
| 検索年代: | |
| 解説文: | 奈良時代の作品。 |
塑造四天王立像
| 主名称: | 塑造四天王立像 |
| 指定番号: | 1534 |
| 枝番: | 00 |
| 指定年月日: | 1902.04.17(明治35.04.17) |
| 国宝重文区分: | 重要文化財 |
| 部門・種別: | 彫刻 |
| ト書: | |
| 員数: | 4躯 |
| 時代区分: | 奈良 |
| 年代: | |
| 検索年代: | |
| 解説文: | 奈良時代の作品。 |
塑造四天王立像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
重要文化財。奈良時代。像高は持国天91.4センチ、増長天92.7センチ、広目天95.1センチ、多聞天91.8センチ。前出の梵天・帝釈天像とともに、もとは食堂の本尊薬師如来像の周囲を守っていた四天王像。心木は頭体通じて一木のクスノキ材で、塑土の層は薄い。白土地に彩色を施すが、大部分は剥落している。保存状態は同じ食堂の梵天・帝釈天像よりは悪く、塑土の欠失が目立つ。須弥壇前方を守る2躯(持国天・増長天)のみが冑(かぶと)をかぶるなど、群像としての変化を付けているが、後世の四天王像に比して動きは少ない。
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