報道倫理理論の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 02:44 UTC 版)
「思想の自由市場」論 出版物の事前検閲が義務付けられていた1640年代のイギリスで、詩人で共和派運動家だったジョン・ミルトンが、検閲を激しく批判して言論の自由を主張した「アレオパジティカ」を著した。この中でミルトンは、「公開の場ですべての人が自由に発言すれば、真実で健全な意見は必ず勝ち残り、誤った不健全な意見は敗退する」と主張した。ミルトンによって基礎づけられたこの考え方は「思想の自由市場」論と呼ばれる。19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルは「自由論」の中で、「抑圧された見解が真実であれば、真実を知る機会を失う。真実でないとしても真実に対抗させることで真実を際立たせ、真実をはっきり知る機会を失う」として、言論の抑圧は害であると論じた。 社会的責任理論 しかし、20世紀に入ると、アメリカ合衆国ではイエロー・ジャーナリズムにより、メディアの大規模化、所有の集中化が進み、少数の経営者がメディアの編集権を握ることで、そのほか大勢の市民がメディアで自分の意見を伝えることが難しくなった。また、報道の商業主義化により、報道の歪曲、受け手の市民の権利侵害など、表現の自由と市民の利害が必ずしも一致しなくなった。こうした状況にあって、シカゴ大学総長のロバート・ハッチンスが委員長となり、1942年に設置された「プレスの自由委員会」は、1947年に報告書「自由で責任あるプレス」を公表した。この報告書は、プレスについて、「自由であるが、その自由は市民の権利と公共的関心を組み込んでいる場合」に限られるとした。その上で、「1.真実の報道、2.公共的討議の場の提供、3.社会各集団のイメージを映し出す、4.社会の目標や価値を示す、5.情報を十分に提供する」プレスが負うべき5つの責務を示し、プレスの自由が単なる政府の干渉からの自由ではなく、社会への責任と義務を伴った自由であることを打ち出した。この考え方は「プレスの社会的責任理論」と称されている。国家権力の介入を最小限にとどめつつ、市民との紛争を解決するためにメディアの自主的規制の導入を勧告した社会的責任理論に基づき、欧米ではプレスに対する苦情申立機関が設立された。 メディア責任システム フランスのクロード・ジャン・ベルトランは、社会的責任理論を発展させた「メディア責任システム(メディア・アカウンタビリティ制度、MAS)」を提唱している。メディア責任システム論は、国家の規制にも、ジャーナリストの道徳心にも依存せず、メディアの倫理を維持する方法として、メディアの倫理的意志決定過程の一部を外部に開放する、という考え方である。メディア責任システム論には、公開で議論し、判断を蓄積することで、倫理的基準が示される利点があり、1990年代後半以降に、日本でメディア倫理の審査を行う第三者機関が設置された際の基礎理論となっている。
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