執行猶予満了後・晩年
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2003年夏に執行猶予の期間が満了し、芸能活動の再開を模索した。テレビについては同年10月にKBS京都のテレビ番組『とっぴもナイト』にゲストで出演してもらうという話があったが、各種メディアからのバッシングや視聴者からの反感が大きかったため、放送が見送られることとなった。その合間に、立川談志の独演会に月亭可朝と共に楽屋を訪ね、談志から出演を打診されたものの、結局断っている。2004年11月29日には復帰を記念してワッハ上方で「なにをいまさら横山ノック ―ノックとその仲間たち―」を開催、一門、喜味こいしらが出演、また元相方青芝フック、弟子の横山プリンの3人で漫画トリオ時代のネタを披露した(客席には元相方の上岡龍太郎の姿もあった)。その後、2006年2月18日にバラエティ専門チャンネル・EXエンタテイメントの『ぜんタネ』(司会は上岡の弟子・ぜんじろう)にゲストで出演した。また、7月にはラジオ関西の番組にも出演したほか、9月には生國魂神社の「彦八まつり」に参加、観客の前で漫談を披露した。しかしながら、テレビ出演は『ぜんタネ』、舞台は「彦八まつり」が最後となった。 2007年2月に中咽頭ガンを患っている事が判明し、弟子たちにもガンに侵されている事を告げた。そして、「横山という亭号・名前を(後世に)残したい」と言い、復帰に向ける意気込みも見せていたが、2007年5月3日7時15分、中咽頭ガンのため兵庫県西宮市の病院で死去した。75歳没。時の府知事太田房江は「突然の訃報に大変驚いている。知事在任中には行財政改革の推進などに力を尽くされ、府政の十年にわたる改革の礎をつくられた。今はただご冥福をお祈りする」とノックの知事時代の功績を称えるコメントを行った。ただ、大阪府はノックに対して強制わいせつ罪の有罪確定により退職金の分割返納を命じており、ノック自身は1期目の退職金を完済していなかったため、遺族に約3年分の残額の返納を要求する姿勢を見せた。死去から一ヶ月たった6月7日、後輩芸人など有志によって「横山ノックを天国へ送る会」が大阪のリーガロイヤルホテルで開催され、発起人の一人である上岡龍太郎は「横山パンチ」名義でお別れの会に出席し、献杯の挨拶では「ノックさん、あなたは僕の太陽でした。本当に有難う御座いました」と、笑いを交えながらもスピーチし、遺影に向かって涙声で別れを告げた。司会は『ノックは無用!』でノックの選挙期間中に代理司会を務めた桑原征平が務め、息子の一貴の長男(横山の孫、当時8歳)が「横山タコ」という名義で「タコチュ」というギャグを披露した。
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