土木史研究の系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 06:24 UTC 版)
明治の土木分野で伝統技術の研究を過去の事象、つまり近世以前の土木の世界にいちはやく着目したのは、河川分野であった。この分野では、実務への応用を念頭においた伝統技術の記録、紹介が早くから行われている。 在野の研究者による初期の例として、近世に佐藤信季が著し、佐藤信淵が校した書を「隄防溝洫志」として明治9年に出版された農学所がある。校訂者は「百工新書」などの啓蒙書の執筆者として知られる宮嵜柳條である。また砂防の実務家だった宇野圓三郎は、熊沢蕃山が提唱実践した治山治水の考えや技法を踏まえ「治水本源砂防工大意」を執筆。近代に入ってからも国の土木職員も「堤防橋梁積方大概土木工要録」の中で、旧幕府から伝わる土木普請方の技術を整理し、後者ではそれを最新のオランダ河川技術と並列的に紹介している。これらの例に共通するのは、近世と近代の土木技術を連続的に捉える視点であった。 明治20年代になると、近代技術と伝統技術を対比的に捉える論考が出てくる。例えば、尾高惇忠の『治水新策」と西師意の「治水論」は日本の自然条件や、氾濫被害を軽減する土地利用の伝統を考慮せず西洋を範として専ら強固な堤防の建設に注力していた風潮に、警鐘を鳴らしている。漢学に優れた彼らの主張には伝統工法とも関連が深い中国治水史の知識が生かされているとの指摘もある。 その後、西洋化を推進する立場にあった内務技師の中にも、 日本の伝統技術に着する者が出てくる。例えば、利根川改修に携わり内務技監も務めた中川吉造、同じく利根川改修工事を経て東京出張所長となった真田秀吉である。特に真田は数理的則だけで河川は把握できず、個々の川の特性を踏まえた古今の工法に河川整備のヒントがあると考え、 日本の伝統工法を集成した『日本水制工論』を出版し、その成果は「明治以前日本土木史」の編纂にも生かされている。無批判な西洋化に対する疑問から湧き上がる伝統・歴史に対する関心がこの系譜を形づくってきた。この問題意識は第二次大戦後の河川計画史研究へも継承されていく。
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