国共内戦、晩年とは? わかりやすく解説

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国共内戦、晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:45 UTC 版)

王陵基」の記事における「国共内戦、晩年」の解説

戦後王陵基は第7綏靖司令官昇進し共産党への対策粛清尽力した1946年民国35年3月江西省政府主席任命され1948年民国37年4月四川省戻り政府主席となった1949年民国38年)夏、中国人民解放軍迎撃のため四川反共救国総司令に任ぜられたが、年末には敗退して雅安追い込まれる最後直属部隊蜂起されてしまい、王は変装して逃亡図ったが、途中で人民解放軍捕縛されてしまった。 中華人民共和国での王陵基10年以上も収監され続け1964年12月28日第5回戦犯特赦において、ようやく釈放された。釈放時点の王は、すでに老齢の上に重い高血圧心臓病患っており、入院余儀なくされている。1967年3月17日北京市病没享年85(満83歳)。

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国共内戦、晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 19:11 UTC 版)

衛立煌」の記事における「国共内戦、晩年」の解説

日中戦争終結後衛立煌は、国共内戦開始反対し、共産党との問題政治交渉により解決すべきと主張していた。蔣介石陳誠がこれを容れずに内戦推進するのを見ると、衛は1946年民国35年11月から外遊に赴き、翌1947年民国36年)秋まで帰国しなかった。その間内戦は、やはり衛の危惧どおり、国民党不利の形勢推移していった。 1948年民国37年1月蔣介石陳誠後任として衛立煌東北剿匪総司令任命し中国人民解放軍対処させた。しかし蔣は衛を信任せず、その指揮権制限し不利な情勢にもかかわらず無謀な攻勢強行させるなどして、遼瀋戦役での大敗招いてしまう。同年11月責任逃れを図る蔣により衛は総司令罷免されてしまった。1949年民国38年)、衛は中国共産党から戦犯1人として指名されている。国民党敗北した後は、香港寓居した。 戦犯指名されていたにもかかわらず衛立煌中華人民共和国建国に際して早くも祝電を打つなどしていた。そして1955年民国44年3月、衛は自ら北京入りしている。中華人民共和国も衛を歓迎し戦犯としての罪を問おうとはしなかった。以後、衛は中国人民政治協商会議全国委員会常務委員国防委員会副主席中国国民党革命委員会(民革)中央常務委員などを歴任した1960年1月17日北京市死去享年64(満62歳)。

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国共内戦、晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:46 UTC 版)

孫渡」の記事における「国共内戦、晩年」の解説

日中戦争終結後孫渡率い第1集団軍東北動員され錦州駐屯した。孫渡は第6兵団司令東北剿匪総司令として、国共内戦中国人民解放軍と戦うことになる。 ところが、1945年10月竜雲蔣介石により武力雲南省政府主席から罷免されたこと、さらに国民政府中央による地方軍差別待遇などもあって、雲南軍の士気低調であった。そのため孫渡は、指揮にあった高級士官や軍の相次ぐ逃亡離反を防ぐことができなくなった1948年民国37年2月には、孫は軍指揮権剥奪され熱河省政府主席移されてしまう。この時期にはすでに人民解放軍東北優勢な状況にあり、熱河省政府事実上ただの名義のみの存在でしかなく、何の実権も孫にはなかった。 1949年民国38年12月初頭に、孫渡西南軍政長官公署副長官任命され雲南戻った。ところが同月9日には雲南省政府主席盧漢中国共産党への起義を宣言したため、孫は逃亡し昆明郊外隠れ住む。しかし1952年、孫は当局により逮捕されてしまった。1959年孫渡大赦受けて釈放され以後中国人民政治協商会議雲南省委員会第2期・第3期委員つとめている。 1967年4月昆明にて病没享年70(満69歳)。

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