国共内戦の激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:32 UTC 版)
中華民国の国民政府主席に就任後、蔣介石は意欲的に中国の近代化を推進する改革を行った。しかしその頃、ソビエト連邦の支援の下、毛沢東が指揮する中国共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、1931年には江西省に「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立するまでに勢力を拡大していた。蔣は1930年12月から、共産党に対し5次にわたる大規模な剿共戦(英語版)を展開、1934年10月には共産党を壊滅寸前の状態にまで追い込み、共産党は西部奥地のソ連国境に近い延安への逃避行(共産党の言い方では長征)でしのぎ、西安事件で復活の切っ掛けを掴んだ。
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