国共内戦と銀元体制の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/05 07:40 UTC 版)
ところが、日本の終戦後に国共内戦が勃発すると、中国共産党側も国民政府に対抗して紙幣を発行(ただし、共産党は中華ソビエト共和国以来、自己の解放区において独自通貨を発行していたが、その中国経済全体に与える影響は少なかった)したことと国内が戦場になったことで中国の経済・金融は大混乱に陥って大規模なインフレーションが発生した。このため、1937年6月と1948年8月を比較して法幣発行量は47万倍、物価指数は500万倍(上海)に達した。このため、国民政府側では1948年8月19日に中央銀行に金円券を発行させ、金円券1元=法定含有純金0.22217グラム=アメリカ貨幣0.25ドルの相場を定め、3ヶ月以内の条件で金円券1元=法幣300万元を交換させた。だが、共産党側の攻勢が本格化し、この年の12月1日には共産党も石家荘に中国人民銀行を設置して人民幣の発行を開始した。更に1949年5月28日に上海が占領された。なお、共産党は6月に金円券の流通停止を宣言して人民幣1元=金円券10万元にて交換・回収を行った。追い込まれた国民政府は、同年7月4日に金円券を総額300兆元にて発行を打ち切り、広州にて未だに政府などが保有していた法幣以前の旧銀元(「孫文像幣」)による銀本位制に基づいた銀元券を発行し、7月18日から8月31日までに銀元券1元=金円券5億元と交換することとし、9月1日以後は金円券を一切無効とするとした。ところがこれを知った共産党側は金円券や銀元の人民幣への交換は認めるが、銀元券と人民幣との交換は行わないと宣言した。 だが、1949年12月7日に国民政府は台湾への移転を決定、中国大陸における中華民国は事実上崩壊した。以後、中華人民共和国では人民幣によって行使される人民元が、台湾国民政府(中華民国)では本来台湾省限定の紙幣であった新台幣によって行使される台湾元が用いられている。
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