国共内戦と晩年の転落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:45 UTC 版)
日中戦争終結後、1946年(民国35年)6月に王纉緒は武漢行轅副主任に任ぜられ、後に重慶綏靖公署副主任、西南軍政長官公署副長官に移っている。しかし、これらの職務は閑職であり、王は事実上成都で閑居していた。1949年(民国38年)12月初めに、西南部での中国人民解放軍への抵抗を図る蒋介石から王は西南第1路遊撃総司令に任ぜられる。しかし12月9日に、劉文輝、鄧錫侯、潘文華らは中華人民共和国への起義を宣言し、追い込まれた王も、結局13日に成都で同じく起義を宣言した。 中華人民共和国では、王纉緒は川西博物館館長、西南軍政委員会委員、四川省人民政府参事室参事、成都市人民代表大会代表などを歴任した。ところが1957年、王は突然香港への逃亡を図り、深圳市付近で逮捕され、成都で収監されてしまう。1960年、獄死。享年75。
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