国共内戦で捕縛、晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 15:47 UTC 版)
日中戦争終結後の8月に、杜建時は天津市副市長兼北寧鉄路中将護路司令、天津党政接収委員会副主任などに任命された。翌1946年(民国35年)1月、参軍から免ぜられ、10月には天津市市長に昇進、国民政府における最後の天津市長となった。国共内戦末期の1949年(民国38年)1月、中国人民解放軍により天津が陥落し、天津警備司令の陳長捷らと共に捕虜とされてしまう。以後、天津人民法院により戦犯と認定され、長期拘留に処された。 約12年の拘留の末、1961年12月に杜建時はようやく釈放された。その後は中国人民政治協商会議(政協)文史資料研究委員会専員となり、1982年11月には第5期政協全国委員会常務委員会委員に選出されている。翌1983年5月にも第6期全国委員会委員となり、8月には政協文史資料研究室副主任に任ぜられた。同年12月、中国国民党革命委員会(民革)第6期中央委員に選出され、1988年3月には第7期政協全国委員となっている。1989年11月7日、病没。享年83(満82歳)。
※この「国共内戦で捕縛、晩年」の解説は、「杜建時」の解説の一部です。
「国共内戦で捕縛、晩年」を含む「杜建時」の記事については、「杜建時」の概要を参照ください。
- 国共内戦で捕縛、晩年のページへのリンク