国共内戦での敗退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:45 UTC 版)
1946年(民国35年)5月、鄭州綏靖公署副主任兼第5綏靖区司令官に任命される。国共内戦で中国人民解放軍を相手に戦ったが、劉伯承・鄧小平率いる第2野戦軍に敗北を重ねた。1949年(民国38年)2月、重慶綏靖公署副主任兼川東綏靖司令に異動し、西南部で人民解放軍を迎撃しようとした。しかし同年12月、川軍の鄧錫侯・劉文輝らが人民解放軍に内通、武装蜂起してしまう。進退窮まった孫震は、公署主任の楊森とともに、台湾へ逃れた。 台湾では、総統府戦略顧問委員会戦略顧問に任命された。1952年(民国41年)に退役し、総統府国策顧問、国民大会代表、光復大陸設計研究委員会(中国語版)委員、憲政研討委員会委員などを歴任している。 1985年(民国74年)9月9日、台北で病没。享年94(満93歳)。
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