国共内戦の再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:32 UTC 版)
1945年8月の日本の太平洋戦争敗戦は、国共統一戦線の意義も名目もなくなり、アメリカの調停によって国共で締結された双十協定でも完全な停戦に至らず、内戦は再開された。共産党軍は、東北と内蒙古と新疆に侵入したソ連とモンゴル人民共和国の支援を受け、徐々に南下して日本軍の前面に立って戦力を消耗してアメリカから事実上援助を打ち切られた国民政府軍を圧迫した。 1949年1月、蔣介石が国共内戦での敗走の責任をとって総統を辞任すると、副総統だった李宗仁が総統(代理)に就任し、同年4月1日に共産党との和平交渉団を南京から共産党支配下の北平(北京)に派遣して北平和談(中国語版)を行い、交渉団が最終案である国内和平協定(中国語版)を持ち帰ってきた。しかし、20日に国民党は調印を拒否する電報を共産党に打って交渉は決裂し、3日後の23日には渡江戦役で首都の南京も共産党に占領されてしまった。同年10月には中華人民共和国の成立に至り、台湾に逃避して総統に復帰した蔣介石は武力による大陸部の領土奪還(大陸反攻)を目指して冷戦状態となった。
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