OSSの支援の下に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 04:36 UTC 版)
第二次世界大戦終結後の1946年に、行政院善後救済総署(行総)管轄下の行総空運隊として創立された。創立に際してはアメリカのOSS(のちのCIA)が深く関わり、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国義勇航空隊(「フライング・タイガース」)を率いたクレア・リー・シェンノートが役員に名を連ねた。既に中華民国では中国航空公司(中航)と中央航空公司(央航)の2社が民間航空を寡占する状態であり、曲がりなりにも民族資本となった両社に加えて新たに外資が参入することには中国国民党や国民政府内部からも反発があった。このため連合国救済復興機関(UNRRA)の復興援助物資の輸送と航空機関の再建を担うという目的で、何とか参入を認めさせた経緯がある。 UNRRA援助が1948年に終了すると同社は中華民国交通部管轄下の民航空運隊となり、ベトナム国統治下のハイフォンに就航するなど民間航空としての活動を本格化させるが、その一方で中国共産党軍との国共内戦の激化に伴い国民党軍の軍事物資や兵員の運搬支援業務も請負った。
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