国共内戦、台湾での活動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 国共内戦、台湾での活動の意味・解説 

国共内戦、台湾での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 23:55 UTC 版)

郭寄嶠」の記事における「国共内戦、台湾での活動」の解説

1946年民国35年6月、郭寄嶠は国防部参謀次長起用された。しかし同年10月谷正倫後任として甘粛省政府主席兼同省保安司令に任ぜられ、さらに西北行営副主任(行営所在地ウルムチ)も兼ねている1948年民国37年9月には西北軍長官公署副長官、さらに国民党甘粛省部主委員兼ねている。郭は甘粛省のため各種政策取り組み馬家軍指導者始めとする少数民族にも宥和政策臨んだ。そのため初期は省情の安定もたらしたが、国共内戦戦況悪化やそれに伴う財源枯渇のため、次第にその統治動揺していく。 1949年民国38年5月、郭寄嶠は西北軍長官公署主任代理となったが、この頃には甘粛省省民や学生国民政府対する不満・反感抑えきれなくなり同年7月に省政府主席辞任追い込まれた。まもなく、郭とその家族台湾逃れている。台湾では当初東南軍政長官公署副長官に任ぜられたが、1950年民国39年)に副参謀総長起用されている。翌1951年民国40年3月国防部長に抜擢され、さらに陸軍二級上将位を授与された。1952年民国41年)、美援運用委員会委員兼任し同年10月国民党第7期中央執行委員選出された。 1954年民国43年5月、郭寄嶠は国防部長を退任し翌月総統府国策顧問に任ぜられている。1957年民国46年10月国民党第8期中央評議委員選出され以後第15期まで連続再選された。1970年民国59年)に蒙蔵委員会委員長起用され1972年民国61年5月まで在任している。1998年民国87年7月26日台北市にて病没享年97(満95歳)。

※この「国共内戦、台湾での活動」の解説は、「郭寄嶠」の解説の一部です。
「国共内戦、台湾での活動」を含む「郭寄嶠」の記事については、「郭寄嶠」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「国共内戦、台湾での活動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国共内戦、台湾での活動」の関連用語

1
郭寄嶠 百科事典
10% |||||

国共内戦、台湾での活動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国共内戦、台湾での活動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの郭寄嶠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS