国共内戦、台湾での失脚とは? わかりやすく解説

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国共内戦、台湾での失脚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 04:39 UTC 版)

孫立人」の記事における「国共内戦、台湾での失脚」の解説

1945年民国34年7月孫立人率い新編第1軍凱旋し広西省南寧駐留したその後孫立人欧州へ軍事視察に赴き、帰国前に日本降伏、その装備接収する形で新編第1軍はさらに拡充され国民党軍五大主力中国語版)の一角となっている。翌1946年民国35年3月東北民主連軍討伐のため孫立人新編第1軍東北派遣され四平攻防戦英語版)を指揮した当初孫立人優位に戦い進め5月には長春占領している。しかし、6月以降全面的な国共内戦勃発後は次第東北民主連軍反撃苦しみ敗北重ねたこのため1947年民国36年4月孫立人東北保安司令部副司長官異動させられ8月には陸軍総司令代理陸軍訓練司令となる。外面的に昇進ではあったが、自身率いていた新編第1軍指揮権を失うなどしている。 その後孫立人は、台湾防衛のため新兵訓練従事し1949年民国38年8月東南軍政長官公署副長官台湾防衛司令に任ぜられた。1950年民国39年3月蔣介石中華民国総統復帰すると、孫立人陸軍総司令保安総司令起用されている。1952年民国41年10月中国国民党第7期中央委員選出され、さらに台湾衛戍司令兼ねた。しかし、孫立人蔣介石専制的統治には不満をかねがね抱いていた。さらにアメリカ派遣してきた軍事顧問団とも積極的に独自の交流をなしている有様見て蔣介石蔣経国父子孫立人への不信感募らせていく。 1954年民国43年6月孫立人陸軍総司令を突然罷免され総統府参軍長に異動させられた。翌1955年民国44年6月孫立人配下の郭廷亮がクーデター目論んでいたとの嫌疑で、孫立人監視下に置かれてしまう。同年8月陳誠ら9人で構成される調査委員会組織され10月末には同委員会報告に基づき孫立人参軍長から罷免軟禁処分言い渡された(「孫立人事件」)。孫立人がようやく軟禁解かれたのは、32年余り経過した1988年民国77年3月22日のことである。 1990年民国79年11月19日台中市にて病没享年92(満91歳)。

※この「国共内戦、台湾での失脚」の解説は、「孫立人」の解説の一部です。
「国共内戦、台湾での失脚」を含む「孫立人」の記事については、「孫立人」の概要を参照ください。

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