国体護持教育への固執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
文部省の教育理念を国体護持から民主主義へ転換し始めるのは、10月から12月にかけて発せられたGHQの一連の教育指令からである。まず10月22日の「日本教育制度に対する管理政策」は「軍国主義的および極端なる国家主義的イデオロギーの普及を禁止すること」を指令し、そのイデオロギーの鼓吹者を罷免し、それに関係する教科書の記述を削除することを指示する。文部省の対応が緩慢であったため、GHQは重ねて同月30日に「教員および教育関係官ノ調査・除外・認可に関する件」を指令する。 文部省はGHQの指令をサボタージュする。その背後には国体護持教育への固執があった。たとえば文部省は11月開会の帝国議会で「国体護持と民主主義との関係如何」と問われた場合に備え、次のような答弁案を用意していた。 民主主義的政治の内容をなしております自由の尊重、人権の擁護、平和の愛好、人民の福祉というようなことは、従来我が皇室におかせられまして不断に御軫念あそばされてまいりましたことであり、この意味におきまして民主主義の理想は我が国体と決して矛盾することはないと考えます。〔…〕なお公民教育の振興により道徳と秩序を尊重する精神を徹底せしめ、また歪曲されない真実に基づいた国史の教育により、さらに従来のような偏狭でない健全な国家意識を涵養することにより国体護持の目的を達することが出来るのではないかと存じます。 12月15日にGHQは神道指令を発し、『国体の本義』や『臣民の道』やその類書を禁止する。文部省は既に『臣民の道』を絶版廃棄を表明していたが、『国体の本義』についてはその改訂に言及しながらも何も措置を取っていなかったことが、GHQによる禁止処分を招いたのである。また、神道指令では「大東亜戦争」「八紘一宇」という用語の使用も禁止されたが、草案段階ではさらに「国体」の語も禁止される予定であった。すなわち 公文書において「大東亜戦争」「八紘一宇」「国体」なる用語、乃至その他の用語にして日本語としてその意味の連想が、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義と切り離し得ざるものは、これを使用することを禁止する。しかして、かかる用語の即刻停止を命ずる。 という文案であった。総司令部のバンズ中尉は発表直前の草案を内密に岸本英夫に見せて意見を求めた。教育勅語は国体の語を用いているので、国体の語が禁止されれば教育勅語が即座に廃止されることになる。そうなると教育界が大混乱し、国民にも大きなショックを与えると岸本は懸念した。文部省の幹部は国民を過度に刺激せずに教育勅語を自然消滅させる方策を模索していたところであったので、総司令部の指令によって教育勅語が即座に廃止される事態は絶対に避けるべきであり、そのためには国体の語の禁止してはならないと岸本は考え、バンズにそう伝え、神道指令から国体の語の禁止を取り除くことに成功した。 1946年1月1日の詔書、いわゆる人間宣言に関連して文部省は訓令を発し、この詔書を「今後わが国教育のよってもって則る大本たるべき」とし、「このごとき聖旨を奉戴して、これが徹底を期するは教育にあり」などと言って、国体護持教育に固執する。文部省は教育勅語を擁護しており、たとえば学校教育局長田中耕太郎は訓示で「年頭の詔書〔人間宣言〕も決して教育勅語の権威を否定するものではない」、「従来教育勅語が一般に無視されていたからこそ、今日の無秩序・混乱が生じた」と論じている。
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