囮作戦で沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:57 UTC 版)
横須賀鎮守府は、1944年1月14日、「でりい丸」と第50号駆潜艇をもって乙作戦支隊を編成、八丈島方面での敵潜水艦誘致作戦を命じた(機密横鎮電令作27号)。途中で駆逐艦「澤風」と第23号掃海艇も合流する手筈で、基地航空隊も作戦を支援した。 1月15日正午に横須賀を出撃した「でりい丸」と第50号駆潜艇は、4kmの間隔を開けて並列した掃討隊形を組み、速力8ノットで之字運動しつつ作戦海域へ南下した。伊豆大島東方37km付近で「でりい丸」が敵潜水艦らしき反応を捉えたが、確信が得られなかった。1時間ほどで捜索を打ち切った2隻は南下を続けた。 このとき、アメリカ潜水艦「ソードフィッシュ」が「でりい丸」を密かに発見していた。「でりい丸」を単なる商船と判断した「ソードフィッシュ」は攻撃を決意し、1月16日午前0時20分頃、御蔵島東北東37km付近(日本側記録)・北緯34度04分 東経139度56分 / 北緯34.067度 東経139.933度 / 34.067; 139.933(アメリカ側記録)の地点にいた「でりい丸」に対し雷撃を加えた。日本側は水中聴音機を使用中だったが魚雷のスクリュー音を捉えられず、魚雷の航跡も視界は比較的良好にもかかわらず発見できなかったため、被弾まで「でりい丸」はまったく襲撃に気付かなかった。 魚雷は「でりい丸」の船首左舷に命中し、船体が船橋から前後に切断された。老朽化の影響か船首側は分解してしまったが、船尾側は破断個所からの浸水を一時は食い止めて沈没を免れるかと思われた。そこで、逆進して三宅島へ擱座しようと努力したが、次第に風が強まって風速15-17mに達し、高波により船体上面からも浸水して石炭庫が満水となった。16日午前3時37分に総員退去が命じられ、わずか2分後に沈没した。予想外の急な沈没だったため救命ボートを降ろす間もなく、乗員の約8割にあたる軍人145-155人・軍属6人が戦死した。船橋から海に投げ出された艦長以下43人だけが護衛艦艇によって収容された。 日本側は、意識を回復した「でりい丸」艦長の指揮の下、1月16日12時に駆けつけた「澤風」および第23号掃海艇も加わって潜水艦掃討を試みた。航空機の誘導に基づき3隻合計30発の爆雷攻撃が行われ、日本側は海面への油や気泡の流出を根拠に「撃沈確実」と判定した。しかし、「ソードフィッシュ」は作戦行動を継続しており、日本側の誤認戦果だった。
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