商品化権とディズニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 03:02 UTC 版)
「クマのプーさん」の記事における「商品化権とディズニー」の解説
詳細は「くまのプーさん (ディズニー)」を参照 『クマのプーさん』のキャラクターは、すでに1920年代から人形やぬいぐるみ、文房具、カレンダー、バースデイブックといった様々な商品に用いられ一産業として発展していった。1930年1月にはキャラクターライセンス事業の先駆者であるステファン・スレシンジャーが、アメリカ合衆国とカナダにおける『プーさん』のグッズ制作や翻案、広告等に関するものを含む商品化権を、1000ドルの前払い金と売り上げの66パーセントを支払う契約で購入した。1931年11月までには「プー産業」は年間5000万ドルを売り上げる一大事業となっている。スレジンジャーの会社はその後30年にわたって「プー」のグッズ販売を行っていた。 1961年、ウォルト・ディズニー・カンパニーは、スレジンジャーの死後に商品化権を保持していた彼の妻シャーレイ・スレシンジャー、およびミルンの妻ダフネ・ミルンと「プー」の商品化に対する使用許可契約を結び 、1966年に「プーさん」の初の短編アニメーション映画「プーさんとはちみつ」を公開した。しかしこのアニメーション作品は、キャラクターたちはたいていアメリカ中西部のアクセントでしゃべり、プーの親友ピグレットの代わりに生粋のアメリカ的キャラクターとしてゴーファー(ジリス)という原作にないキャラクターが投入され、クリストファー・ロビンは髪を短くしていかにもアメリカ的な少年として描かれ、原作にあったミルンの詩は排除されてシャーマン兄弟の楽曲に差し替えられるなど、そのアメリカ的な解釈がイギリスで批判の的となった。イギリスの映画評論家フィリックス・パーカーは、この映画に対してクリストファー・ロビンの声を標準的なイギリス南部の発音にして吹き込み直すことを求めるキャンペーンを『イヴニング・ニューズ』紙で展開し、『デイリー・メイル』紙でもその運動に対する支持が表明された。さらにクリストファー・ミルンからも賛同の手紙が寄せられ、結果としてディズニーにクリストファー・ロビンの声を吹き替えさせることに成功した。 その後、ディズニーはピグレットを登場させた「プーさんと大あらし」(1968年)をはじめ、短編・長編映画やテレビシリーズなど数多くの映像作品を製作している。当初は概ね原作に沿った内容で作られていたが、のちにはオリジナルストーリーも作られ、ゴーファーのほかにも小鳥のケシー、「ゾゾ」のランピーといったオリジナルキャラクターが加えられた。ディズニー版の「くまのプーさん」はアメリカでは強く支持され、「プーさん」はミッキー・マウスと並ぶ人気を持つディズニーキャラクターとなっている。のちにシェパードの挿絵の価値に気づいてからは、ディズニーはシェパードの絵の商品化権も買収し、「クラシック・プー」と言われるキャラクターグッズの販売も行っている。1998年には「くまのプーさん」のキャラクター関連グッズの売り上げがミッキーマウスを上回り、ディズニーキャラクターの首位となった。日本でも人気が高く、キャラクター・データバンクが行った2002年のキャラクターグッズ購入調査では、ハローキティ、ミッキーマウスなどを抑えて首位となっている。 一方、そのキャラターグッズの莫大な利益について、スレシンジャー社とディズニーとの間でたびたび訴訟が起こっている。最初の訴訟は1991年、スレシンジャー社がディズニーに対して起したもので、1983年に両社で結んだ契約に違い、ディズニーが商品化権使用料の一部を支払っていないという訴えである。この訴訟では訴えの商品化権料の金額が正確かどうか、そしてビデオやゲームソフトが1983年の契約に含まれるかどうかが争点となったが、2004年5月、ロサンジェルス上級裁によりスレシンジャー側の訴えを棄却する判決が下された。1991年にはE.H.シェパードの孫により、スレシンジャー社との契約破棄を求める訴えが、1998年にはミルンの孫娘クレア・ミルンにより同様の訴えがなされているが、前者は2007年2月、後者は2006年6月にスレシンジャー社側の権利を認める判決が下されている。
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