唯物史観への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 16:28 UTC 版)
「マルクス主義批判」の記事における「唯物史観への批判」の解説
唯物史観(史的唯物論)はマルクス主義の基礎をなしている。唯物史観では、生産様式の進歩は、必然的に生産関係(生産の社会的関係)の変化につながり、社会の経済的「土台」は、文化、宗教、政治、および人々の社会意識といったイデオロギーの上部構造を下支えし、またそこへ反映され、影響を与える、と主張される。 唯物史観は、人類の歴史における発展と変化の原因、経済的・技術的・物質的な要因、ならびに部族、社会階級、および国家間の利益の衝突を探求し、そこでは、法、政治、芸術、文学、道徳、宗教といった全ての文化事象は、社会の経済基盤の反映として上部構造を構成するとされる。多くの批判者は、これは社会の性質を過度に単純化したものであると主張し、マルクスが上部構造と呼んだ文化事象は、経済的基盤と同じくらい重要であると批判する。こうした批判に対して、エンゲルスは「唯物史観によると、歴史の最終的な決定要素は、実生活の生産と再生産である。 これ以上のことを、マルクスも私も断言していません。 マルクス主義は経済的要素を唯一の決定的な要素であると主張しているという言い方は、歪曲であり、無意味で抽象的な命題に言い換えているだけです。」と、社会の経済的基盤が唯一の決定要素であるとは主張していないと手紙で述べているが、マルクスは土台と上部構造との関係を因果関係ではなく決定関係であると主張している。 しかし、こうした批判はマルクス主義にとっても別の問題を引き起こす。上部構造が土台に影響を与えるのならば、歴史は階級闘争の1つであるというマルクスの主張は必要なくなってしまう。またこれは、土台と上部構造はいずれが先になるかという、鶏が先か、卵が先かという古典的な因果性のジレンマの議論になる。哲学者ピーター・シンガーは、この問題を解決する方法は、マルクスが経済基盤を最終的現実と見なしたことを理解することにあるという。マルクスにとって重要なのは生産手段であり、したがって人間が抑圧から解放される唯一の方法は、その生産手段を支配することであると信じていた。マルクスによれば、これが歴史の目的であり、上部構造は解放の道具とみなされる。 社会学者のマックス・ヴェーバーは、共産党宣言を「第一級の科学的業績」であると評価しながら、ヴェーバーは歴史を仮説的な性格をもつものであって、永遠の真理とはみなさなかったため、マルクスらの唯物論哲学を原理上ことごとく拒否し、歴史の客観的な法則を発見したと称するのは詐欺であると痛烈に批判した。『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』では、「世界観としての唯物史観」とは「手を切るべきである」と主張した。またヴェーバーは、禁欲や勤勉を推奨するプロテスタンティズムの倫理が資本主義を成立させた要因のひとつではないかと『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で考察したが、1918年のウィーン大学講義では「マルクス主義的歴史把握のポジティブな批判」と題されていた。ヴォルフガング・モムゼンは「ヴェーバーは、理論の平面でカール・マルクスの最大の敵役を演じた」と評した。 日本では哲学者川合貞一の「マルクシズムの哲学的批判」(1932年)、哲学者岩崎武雄の「弁証法」(昭和29、1954)、佐野学の「唯物史観批判」(昭和23)などが唯物史観を批判した。 市村真一によると、マルクス主義はイデオロギーとして巧妙に無謬性を守るようにできている。それは、マルクス経済学・唯物史観・唯物弁証法の三面からなり、経済の議論で破綻をきたすと、歴史の流れを無視していると反論し、歴史の実証で弱みを暴露すると、哲学を知らぬと反駁し、哲学論争で敗れれば、経済の現実を知らぬと反駁する。いつも論破されたと思わず、次の聖域に逃げ込める構造になっている。これをオックスフォード大学のシートン教授は「重層防御構造」と表現した。
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