唐の律令の継受とは? わかりやすく解説

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唐の律令の継受

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:45 UTC 版)

律令法」の記事における「唐の律令の継受」の解説

上のような律令法特色は、大化の改新後の公地公民制に基づく新し国家組織そのものの必要から生まれたのである同時に律令法が「中国古代法典」を母法として継承したことにも理由があった。 律令法形式内容ともに主として唐の律令(唐律、永徽律)を模範とした法制であって、この時代東洋一種世界法の役割果たした唐の律令日本における分枝みるべきである。したがって継受法としての律令法と、大化前代固有法との間には断絶があって、固有の慣習法基礎として成立した武家法制とは性格異にする点が多い。 ただ唐の律令継受するにさいして日本独自条件考慮入れて重要な修正行っている事実注意する必要がある。たとえば、唐の均田制模範とした日本班田制は、刑法官制などとちがって従来土地所有制度調整しなければ実行しがたい制度である。日本の令では唐令を意識的に修正して実施した形跡がみえる。また大化前代土地私有制発展段階相違考慮されていることも明らかである。 唐田令では、 官人永業田および賜田無制限に売買・貼賃(ちようちん)(質入れあるいは賃貸のこと)の自由を有し庶人永業田特別の場合には売買許され口分田くぶんでん)は原則として売買禁じ例外的にこれを許し諸田地の貼賃なども、原則的に禁止されるとどまった。 これに対して日本令では、すべての田地絶対にその売買禁止し、とくに1年間賃租許しているにすぎないこのような相違は、国家権力強さ土地私有性および交換経済の発展の状態などの相違反映させたものとみられる田令ほど重要でない修正は令の各所みられるが、それに対して律は唐律模倣傾向顕著であった継受法としての律令法7世紀以降長期わたって強行されたことについては、国家権力強大さ、人民一般政治的権利第一にある。 例えば、律令法行政組織の最末端にある郷里制にもあらわれている。国・郡・里の里は、50をもって構成された。この地方制度画一的行政的につくりあげられたもので、大化前代からの自然発生的な集落はまったく関係のない組であった地方民衆生活のなかでは、「」は基本的な共同体単位であったが、それが、法的には全然認められていない事実なかにも律令法特徴みられる。 したがって律令法のなかに、日本古代社会内部行われていた法慣行見いだすことは困難である。記紀隋書倭国伝、祝詞(のりと)などの資料によっても、大化前代地方族長社会においては神判制度宗教からまだ完全には分離しない形での法が存在した。また邪馬台国やまたいこく)でも公的な秩序権威維持のための法が存在したとみられるヤマト王権時代になれば、刑法中心とした法が、中国古代法の影響をうけながら不文法の形で発展していたことが推測される。唐の律令の継受も、このような土台のうえに可能となったのであるが、秦・漢以来歴代専制主義法制集大成した唐の律令大化前代日本の法とでは、段階の差が、あまりにはげしかったので、律令法継受法としての性格強くもたざるをえなかったとみられる

※この「唐の律令の継受」の解説は、「律令法」の解説の一部です。
「唐の律令の継受」を含む「律令法」の記事については、「律令法」の概要を参照ください。

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