唐の武徳年間とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:31 UTC 版)
「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「唐の武徳年間とする説」の解説
明末に記された『閩書(中国語版)』(巻七、方域史)には、ムハンマドの4人の弟子が唐の武徳年間(618年から626年)に中国を訪れ、1人目は広州に、2人目は揚州に、3人目と4人目は泉州にイスラームを伝え、中国で死去したという記述がある。この説は唐の中頃に始まったとされている。田坂 (1964a)は、この武徳年間にはイスラームの勢力は微弱で、世界宗教はおろかアラビアの宗教としての地位すら確立しておらず、したがって中国へ宣教する計画がムハンマドにはなかったはずであるとしている。また、この4人の弟子というのも4人いた正統カリフのことだろうとしている。以下に西澤 (1998)に参照されている『閩書』の文章を引用する。 默徳那国有嗎喊叭徳聖人、生隋開皇元年、……門徒有大賢四人、唐武徳中来朝、逐伝教於中国、一賢伝教広州、二賢伝教揚州、三賢四賢伝教泉州 —『閩書』巻七、方域史
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