唐の律令制との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:06 UTC 版)
古代中国では、八省の上にあってこれを統括し、また皇帝を補佐して政策を審議する機関のことを「台閣」と呼んだ。日本でも律令制が導入されて太政官が八省の上に置かれると、政策決定機関である議政官のことを特に唐名で「台閣」(たいかく)と呼ぶようになった。この呼称は明治の太政官制にも引き継がれ、やがてこれを言い替えた「内閣」を中心とする内閣制度が、1885年に太政官制に取って代わった。 唐の律令制では、中書・門下・尚書の三つをひっくるめて、太政官と呼称したが、この尚書の中の一つの部に神祇祭祀を司る「祠部」があるものの、日本のように神祇官と太政官の二つを置いて、並列した官として扱っているわけではなく、この点が異なることからも、日本の太政官(および神祇官)はオリジナルの律令である(太政官という語だけはあるものの、日本とは内容が異なる)。このことは、日本が中国律令制をそのまま導入したのではなく、国風実情に合わせて日本律令を形成していったことを示している。
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