和賀江塗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/15 05:19 UTC 版)
和賀江塗という名前の由来は、鎌倉市と逗子市の境界線に位置する和賀江島に因んで自らの木漆工芸に命名している。鎌倉材木座のはずれには逗子小坪に隣接する飯島崎があり、今もその礎石を残す築島である和賀江島がある。その昔、鴨長明が「東関紀行」の中で住吉城の崖下の小道から眺めた和賀江島の情景を書いている。手前の逗子マリーナから眺めると、前方遥か向こうに伊豆大島を臨んで源為朝の伝説を持つ矢の根の井戸、別名、六角井があり、この辺りが和賀江島のネックに当たるところで、武士社会の鎌倉時代に人々の間で山に囲まれた鎌倉の地の唯一、海からの交通の地として毎日全国から何隻もの船が出入りしていた所である。木地に直接黒漆を塗り、その上に赤漆を重ね塗りした自らの木漆工芸創作品を塗り終えて散策に出た菅沼三千子は目の前に広がる絶景を眺めて命名を思いついている。満潮時にはほぼ全域が海面下に隠れてしまう和賀江島は、干潮時は岬の突端から長い距離に亘って巨石の石積みが見られ、その往時の姿が偲ばれる。太陽が姿を段々消していく時、茜色に染まっていく空に遥か彼方に見える富士山が徐々に黒ずみ出し、黄昏時から漆黒の闇夜に更に移っていくダイナミックな場景は自らの木漆工芸品の醍醐味と重なると菅沼三千子は言っている。鎌倉時代の築港跡としては唯一現存している和賀江島は国の史跡に指定されており、その名を引用した昭和生まれの木漆工芸家菅沼三千子は現代木漆工芸業界のパイオニアとも言える。 和賀江塗の特徴は研ぎ出しという手法で、これは漆を塗り上げた後、仕上げの前に磨くのだが、これを何度も繰り返して艶に深みを出している。和賀江塗では、時が経つにつれて自然に出てくる「曙塗り」と「根来塗り」を大切にしているがこれらの結果が出るには少なくとも10年は掛かるので、スピード感溢れる現代に合わせて最近では、夫々に自らの手の感覚を利用した手法を取り入れている。「曙塗り」では、下塗りで朱漆を塗り上げ、仕上げに黒を塗った後に磨きによって赤の部分が少し見えるようにし、曙光のように闇から光が射すような印象を創り出している。「根来塗り」では、中塗りで黒漆を塗り、上塗りで朱漆を塗った後に磨きによって黒の部分が所々表面化してくるように創り出している。 和賀江塗の製造工程 材料の木は、トチ、ヒノキ、カツラ等を使用する。 板から削り出して作る刳物(くりもの)の木地を使うことが多い。 木地作り-木目等を吟味し、その木材を木地師と呼ぶ職人が加工するのが通常だが、和賀江塗では全て独りの漆芸家がする。 木地固め-木目に水練りした砥の粉を塗り込んでは拭き取る作業を2、3回行う。 下地-素地に漆が吸収されるのを防ぐために、生漆を塗布する。 摺漆-透漆に荏油を混ぜたものを、数回に分けて薄く塗り込むのだが摺りの回数が多いほど出来上がりがよい。 上塗-透漆に荏油を加えた漆を刷毛で塗る。漆は塗師が独自の製法で精製する。
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