名松線開通以降
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1935年(昭和10年)12月5日、名松線の家城 - 伊勢奥津間が開通して伊勢奥津駅が開設された。伊勢奥津駅発の始発は5時58分で、提灯で飾られた駅舎を雨上がりの中、汽車は出発した。第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)には奥津から名張へ向かう三重交通の路線バスが設定された。この頃の奥津は洋食屋、呉服屋、「百貨店」と呼ばれたよろずやなどが軒を連ね、伊勢奥津駅は木材の積み出しで大いに賑っていた。木材の積み出しは1965年(昭和40年)の蒸気機関車乗り入れの廃止とともに貨物の取り扱いもなくなったため、姿を消した。 かつては宿場町として栄えた奥津も過疎化が進行し、伊勢奥津駅の乗降客数も減少していった。そこで1990年代後半より、地元の婦人会が地域振興を企図して紺色ののれんを家の軒先に掲げるという活動を開始した。2006年(平成18年)に市町村合併で津市の一部になって以降は、行政に「住民の声」が届きにくくなったと感じる住民が増え、住民の自主的な活動が始まり、2009年(平成21年)3月に古民家を改装して「かわせみ庵」が開業した。 こうした状況で2009年(平成21年)10月に台風18号が襲来、名松線は土砂崩れや路盤流失などの大きな被害を受け、特に家城 - 伊勢奥津間に被害が集中した。そこで東海旅客鉄道(JR東海)は家城 - 伊勢奥津間を復旧せずバス転換することを提案したが、住民らは鉄道として存続することを求める署名を116,000人分集め、2011年(平成23年)5月にJR東海は三重県および津市と協定を結び、鉄道の復旧が行われる見通しとなった。鉄道休止中は立ち入り禁止の規制線が線路に引かれ、雑草が繁茂する状態となっていた。2013年(平成25年)5月30日にJR東海は復旧工事に着手し、同年9月22日には「名松線を元気にする会」が名松線を知ってもらうことを目的に伊勢奥津駅周辺でコスプレイベントを開催した。同会はマスコットキャラクターとして萌えキャラの「奥津ハルカ」を採用している。 名松線の復旧工事は2016年(平成28年)2月5日に完了し、訓練運転を経て、3月26日に家城 - 伊勢奥津間が復活した。当日の午前9時には出発式が開かれ、式典では三重県知事の鈴木英敬が同日開業の北海道新幹線を引き合いに「名松線の方が地域に愛されている」と挨拶した。1番列車には約250人が乗車し、伊勢奥津駅には3,000人から5,000人もの人が詰めかけた。2017年(平成29年)3月26日、復旧から1年を迎えたことを記念するイベントが伊勢奥津駅前で開かれ、約1,000人が訪れた。同年4月3日、津市家庭医療クリニックが美杉高齢者生活福祉センター内に設置され診療を開始した。高齢者生活福祉センターの中にあるが、全年齢を対象として内科、外科、小児科、心療内科の診療に当たっている。
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