名松線開通以降とは? わかりやすく解説

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名松線開通以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 05:29 UTC 版)

美杉町奥津」の記事における「名松線開通以降」の解説

1935年昭和10年12月5日名松線家城 - 伊勢奥津間が開通して伊勢奥津駅開設された。伊勢奥津駅発の始発は5時58分で、提灯飾られ駅舎雨上がりの中、汽車出発した第二次世界大戦後1949年昭和24年)には奥津から名張へ向かう三重交通路線バス設定された。この頃奥津洋食屋呉服屋、「百貨店」と呼ばれたよろずやなどが軒を連ね伊勢奥津駅木材積み出し大いに賑っていた。木材積み出し1965年昭和40年)の蒸気機関車乗り入れ廃止とともに貨物の取り扱いなくなったため、姿を消したかつては宿場町として栄えた奥津過疎化進行し伊勢奥津駅乗降客数減少していった。そこで1990年代後半より、地元婦人会地域振興企図して紺色ののれんを家の軒先掲げるという活動開始した2006年平成18年)に市町村合併津市一部になって以降は、行政に「住民の声」が届きにくくなったと感じ住民増え住民自主的な活動始まり2009年平成21年3月古民家改装してかわせみ庵」が開業したこうした状況2009年平成21年10月台風18号襲来名松線土砂崩れ路盤流失などの大きな被害を受け、特に家城 - 伊勢奥津間に被害集中した。そこで東海旅客鉄道JR東海)は家城 - 伊勢奥津間を復旧せずバス転換することを提案したが、住民らは鉄道として存続することを求め署名116,000人分集め2011年平成23年5月JR東海三重県および津市協定を結び、鉄道復旧が行われる見通しとなった鉄道休止中立ち入り禁止規制線が線路引かれ雑草繁茂する態となっていた。2013年平成25年5月30日JR東海復旧工事着手し同年9月22日には「名松線元気にする会」が名松線知ってもらうことを目的伊勢奥津駅周辺コスプレイベント開催した。同会はマスコットキャラクターとして萌えキャラの「奥津ハルカ」を採用している。 名松線復旧工事2016年平成28年2月5日完了し訓練運転を経て3月26日家城 - 伊勢奥津間が復活した当日午前9時には出発式開かれ式典では三重県知事鈴木英敬同日開業北海道新幹線引き合いに「名松線の方が地域愛されている」と挨拶した。1番列車には約250人が乗車し伊勢奥津駅には3,000人から5,000人もの人が詰めかけた。2017年平成29年3月26日復旧から1年迎えたことを記念するイベント伊勢奥津駅前で開かれ、約1,000人が訪れた同年4月3日津市家庭医療クリニックが美高齢者生活福祉センター内設置され診療開始した高齢者生活福祉センター中にあるが、全年齢対象として内科外科小児科心療内科診療当たっている。

※この「名松線開通以降」の解説は、「美杉町奥津」の解説の一部です。
「名松線開通以降」を含む「美杉町奥津」の記事については、「美杉町奥津」の概要を参照ください。

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