各地に残る聖蹟公園の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:20 UTC 版)
「明治天皇聖蹟」の記事における「各地に残る聖蹟公園の例」の解説
本節では明治天皇の足跡を顕彰する公園、あるいは少なくとも公園名に「聖蹟」「行在所」「御幸」「御野立」など天皇の足跡を偲ばせる意味を込めた公園を例示する。単に石碑が残されているだけの場所などは割愛する。たとえば、東京都立桜ヶ丘公園は、園内に旧多摩聖蹟記念館が立地するが、館名にあえて「旧」の字を冠しているのは館の運営目的が当初の聖蹟記念から変わったことを示すためであるとされるので、本節では扱わない。 聖蹟公園。東京都品川区北品川2-7-21。東海道品川宿本陣跡である。1868年の明治天皇東幸時に行在所となった。1872年宿駅制度廃止後は警視庁品川病院となっていたが、1938年に公園として整備された。明治天皇行在所にちなみ「聖蹟公園」と名づけられた。園内には東京市長の撰文にかかる「聖蹟公園由来の碑」「聖徳の碑」「御聖蹟の碑」などがある。 聖蹟蒲田梅屋敷公園。東京都大田区蒲田本町2-1-1。もとの梅屋敷は江戸時代に東海道の休み茶屋としてつくられ、梅の名所として賑わった。明治時代には明治天皇がここを気に入って9回訪れたと記録される。1948年に指定解除された史跡377件中に「明治天皇行幸所蒲田梅屋敷」がある。規模縮小し、1953年より太田区立公園となった。 明治天皇記念碑公園。茨城県牛久市女化町101-1。面積1,452平方メートル。「明治天皇駐蹕之地」の石碑が立つ。石碑は1884年12月8日女化原で行われた近衛師団の大演習を明治天皇が観戦した事と場所とを記念して建立された。1997年に地元の女性が寄贈した。 行在所公園。群馬県高崎市新町2825-1。隣接する明治天皇新町行在所は、1878年の北陸・東海道の巡幸のおりに明治天皇の行在所として新築された。国立新町屑糸紡績所への行幸時に宿泊した所であった。 御幸公園。神奈川県川崎市幸区東古市場1。国道1号線と多摩川河川敷に面した公園である。昭和25年4月1日開設。面積30,028平方メートル、明治天皇行幸の記念碑が梅林内に立つ。明治時代、当地の小向村には多くの梅の木が植えられ「小向梅林」と呼ばれていた。1884年、明治天皇は小向梅林を観て楽しんだ。1931年に「明治天皇臨幸御観梅跡碑」を建立した。 塩嶺御野立公園。長野県岡谷市10016-149、塩尻峠。1880年に明治天皇が塩尻峠に立ち寄ったことを記念して1906年に「聖駕駐蹕記」碑を建立した。有栖川宮威仁親王による篇額、股野琢による撰文ならびに書。近くに「明治天皇御野立所」碑も建てられた。1948年に指定解除された史跡377件中に「明治天皇塩尻峠御野立所」がある。記念碑の前で塩嶺御野立記念祭が行われている。明治天皇の訪れた6月24日と、昭和天皇の訪れた10月14日とを記念して、毎年両日、明治天皇が訪れた時間にあわせて午前10時に参列者一同一礼をする祭礼である。(1) 整列、(2) 一同一礼、(3) 解散、と20秒ほどで終わる。日本一短い祭として知られる。 御野立公園。新潟県柏崎市東の輪町、同市鯨波2丁目。明治天皇が北陸巡幸のおり立ち寄った。明治天皇御行幸の記念碑が立つ。 明治天皇御休所公園。石川県能美郡川北町橘。1878年10月5日、明治天皇が北陸を巡幸した際、手取川を渡る前に木呂場(ころば)の茶屋で休憩したところを公園として整備した。 おあがり場公園。広島県廿日市市阿品1-10。1885年、明治天皇が宮島に渡って厳島神社を参拝した帰りに上陸した場所である。地元民は明治天皇上陸地を地域で最も神聖な場所として大切し、この地の清掃と敬礼を欠かさなかったと伝えられる。
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