各地の“陸軍経理学校”
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「陸軍経理学校」の記事における「各地の“陸軍経理学校”」の解説
「陸軍予備士官学校_(日本)#陸軍予備士官学校に準ずる組織」も参照 1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争から1941年(昭和16年)12月開戦の太平洋戦争へと続く戦時下で大量に必要とされた陸軍の下級将校は、その大部分を主として甲種幹部候補生から補充していた。そのため幹部候補生の人員数は士官候補生その他と比較して圧倒的に多く、陸軍経理学校での集合教育を原則としていた経理部甲種幹部候補生であっても、とくに外地の部隊からは遠方の東京へ派遣することなく各地に幹部候補生隊を組織して集合教育を行った。これらを新京陸軍経理学校、北京陸軍経理学校、南京陸軍経理学校、昭南陸軍経理学校等と表現する場合があるが、あくまでも通称にすぎず勅令で定められた陸軍経理学校は東京の一校しか存在しない。 新京陸軍経理学校と通称されるのは正確には1940年(昭和15年)7月、満州国新京特別市に置かれた「関東軍経理部下士官候補者隊」(満州815部隊、または徳13923部隊)で、下士官候補者だけでなく関東軍隷下部隊からの経理部甲種幹部候補生も集合させて教育を開始したものである。名称と被教育者に齟齬があった同部隊は1943年(昭和18年)8月、「関東軍経理部幹部教育隊」と改称改編した。部隊の所在地は新京市児玉公園、のちに新京郊外の緑園に移転した。 北京陸軍経理学校は北支那方面軍経理部の下士官候補者隊(北支甲1871部隊)であり、南京陸軍経理学校は中支那方面軍主計下士官候補者隊(通称「成賢部隊」)、昭南陸軍経理学校は当時昭南特別市と日本が呼んだシンガポールに置かれた同様の部隊である。
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