古保利古墳群とは? わかりやすく解説

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古保利古墳群

名称: 古保利古墳群
ふりがな こほりこふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 伊香郡高月町
管理団体
指定年月日 2003.08.27(平成15.08.27)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 古保利古墳群は、滋賀県北部琵琶湖北端塩津東岸面した丘陵上に立地する
  昭和40年代滋賀県教育委員会が行った分布調査により、滋賀県屈指の大規模な古墳群であることが判明し県史跡に指定された。その後高月町教育委員会が、昭和58年度から平成6年度に測量を主とした分布調査行い平成10から12年度に一部古墳発掘調査行ったその結果古墳時代初期から後期終末期に至る、132基の古墳からなる大規模な古墳群であり、古墳墳丘良好な状況保存されていることが判明した
 古墳琵琶湖との比高100m上の丘陵尾根上、標高200から240mの稜線上に南北3kmわたって分布する前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37からなる立地分布状況からみて6つの支群に分けられそれぞれ1基以上の前方後円墳ないしは前方後方墳含まれる古墳規模は、前方後円墳では西野山古墳が90m、寺ヶ浦古墳が53.5m、ほかは22.5から40m、前方後方墳では、小松古墳が60m、ほかは15から39mである。円墳直径方墳一辺はほぼ30mを最大とし、10から20m前後のものが多い。前方後円墳前方後方墳規模大き円墳方墳は、古墳時代初期から前期ないしは中期前葉ころを中心とするものと考えられる前方後方墳小松古墳は、後方部の墳頂部から出土した二重口縁の壺や高杯などの土器からみて初期古墳考えられる。これら前期中心とした古墳内部主体は、竪穴式石室粘土郭などは確認されておらず木棺直葬推定される埴輪はまった認められないが、発掘され前方後円墳には葺石確認されている。また、直径10m内外小規模古墳は、横穴式石室や横口式石郭などを内部主体とする6世紀から7世紀造営され後期及び終末期のものが主となり、一部群集墳形成する
 この古墳群は、琵琶湖にじかに面しており、琵琶湖からしか望めない古墳もあることから、琵琶湖からの眺望意識したことがうかがえる琵琶湖近江水上交通大動脈であり、湖北地域畿内地方北陸地方東海地方山陰地方から若狭地方各地を結ぶ交通路上にあたることからも、古墳被葬者琵琶湖水上交通関与した集団考えられるまた、古墳群古墳時代初期から終末期まで長期わたって継続した大規模なもので、古墳時代琵琶湖水上交通あり方とそれを担った集団変遷構成を知る上で重要である。古墳群全体琵琶湖景観とともに良好に保存されており、史跡指定し保護図ろうとするものである
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古保利古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:20 UTC 版)

古保利
古墳群
古保利古墳群の位置
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古保利古墳群(こほりこふんぐん)は、滋賀県長浜市高月町西野・熊野・片山および湖北町石川にある古墳群。国の史跡に指定されている。

概要

滋賀県北部、琵琶湖北端の塩津湾に面する西野山丘陵の尾根上およそ南北3キロメートルにわたって一列に営造された、全国的にも有数の大規模古墳群である[1]前方後円墳8基(帆立貝形古墳1基含む)・前方後方墳8基・円墳79基・方墳37基の計132基から構成される[1]

古墳群はA-F支群の6支群に大きく分けられる[1]。各支群に1基以上含まれる前方後円墳・前方後方墳16基は盟主墳として首長墓系譜をなすと想定され、前方後円墳(墳丘長32-90メートル)は古墳時代前期を主体として中期初頭まで、前方後方墳(墳丘長16.5-60メートル)は古墳時代初頭から前期までの築造と推定される[1]。最古級となる前方後方墳の小松古墳では発掘調査が実施されており、銅鏡(方格規矩鏡内行花文鏡)・銅鏃・鉄製品など多数の副葬品や土器が出土し、古墳時代初頭の3世紀中葉頃の築造と推定される。古墳群中最大規模となるのは西野山古墳で、墳丘長90メートル以上を測る。円墳・方墳は直径・一辺が10-20メートルを測るものが多く、最大では30メートルを測る[2]。小規模古墳は古墳時代後期-終末期のものが多く、一部では群集墳を形成する(八つ岩支群)[3][2]

この古保利古墳群は、古墳時代初頭-終末期の営造で[1][4]、主には前期の3世紀中葉-4世紀代の営造と推定される[5]。古墳時代を通じて営造される点、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳という4つの基本墳形を全て含む点で特色を示す[1]。また琵琶湖を介した日本海ルートを直に望む地にあり、琵琶湖からしか望めない古墳も存在することから琵琶湖の水上交通への関与が想定され[1][4][5]、水上交通を担った集団の構成・変遷を考察するうえでも重要視される古墳群になる[2]。付近では物部古墳群などの築造も知られており、小地域ながら前方後円墳・前方後方墳が集中する地域として注目される[1]

古墳域は2003年平成15年)に国の史跡に指定されている[2]

遺跡歴

  • 昭和40年代、分布調査(滋賀県教育委員会)[2]
  • 滋賀県指定史跡に指定。
  • 1983-1994年度(昭和58-平成6年度)、分布調査(高月町教育委員会、1995年に報告書刊行)[2]
  • 1998-2000年度(平成10-12年度)、一部の古墳の発掘調査(高月町教育委員会、2001年に報告書刊行)[2]
  • 2003年(平成15年)8月27日、国の史跡に指定[2]

主な古墳

古保利古墳群の主な古墳[1][5]
支群 古墳名 座標 形状 規模 築造時期 備考
枝番号 通称
A A-1 深谷古墳 北緯35度28分45.08秒 東経136度11分27.90秒 前方後円墳
A-2 西野山古墳 北緯35度28分41.83秒 東経136度11分36.20秒 前方後円墳 墳丘長90m以上 古墳群中最大規模
A-3 A-3号墳 円墳 直径15m 古墳時代後期 確認調査実施
A-5 巳ノ脇古墳
B B-1 ヘソ岩古墳 北緯35度28分25.94秒 東経136度11分40.26秒 帆立貝形古墳 墳丘長21m
B-6 小松古墳 北緯35度28分20.82秒 東経136度11分38.95秒 前方後方墳 墳丘長60m 古墳時代初頭 古墳群中最古級
確認調査実施
銅鏡・銅鏃・鉄製品など出土
B-10 木戸古墳 円墳 直径25m 古墳時代前期 確認調査実施
B-16 木戸越古墳 北緯35度28分12.23秒 東経136度11分40.95秒 前方後円墳
C C-10 西山古墳
C-16 大浦古墳 北緯35度28分3.74秒 東経136度11分44.55秒 前方後方墳
C-17 野瀬古墳 円墳 直径30m 古墳時代前期以前 確認調査実施
C-20 C-20号墳 方墳 一辺22m 古墳時代前期末-中期初頭 確認調査実施
C-22 C-22号墳 円墳 古墳時代終末期 確認調査実施
D D-1 寺ヶ浦古墳 北緯35度27分57.66秒 東経136度11分46.01秒 前方後円墳
D-2 臼ヶ谷古墳 北緯35度27分54.58秒 東経136度11分47.56秒 前方後方墳
D-6 堂山古墳
D-7 堂谷古墳
D-10 南山古墳
D-24 井ノ浦古墳
D-41 北谷古墳 北緯35度27分40.80秒 東経136度11分56.67秒 前方後方墳
D-42 黒見古墳 北緯35度27分38.69秒 東経136度11分58.03秒 前方後円墳
E E-1 上大谷古墳 北緯35度27分34.67秒 東経136度12分2.31秒 前方後方墳
E-5 岩屋古墳 北緯35度27分30.58秒 東経136度12分3.92秒 前方後方墳
E-7 蜂谷古墳
E-9 熊野山古墳 北緯35度27分26.71秒 東経136度12分5.04秒 前方後方墳
E-14 屋ヶ谷古墳 北緯35度27分23.14秒 東経136度12分7.32秒 前方後方墳
E-15 大谷古墳 北緯35度27分20.72秒 東経136度12分9.13秒 前方後円墳
F F-1 旭山古墳 北緯35度27分16.20秒 東経136度12分11.97秒 前方後円墳

文化財

国の史跡

  • 古保利古墳群 - 2003年(平成15年)8月27日指定[2]

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『古保利古墳群詳細分布調査報告書』高月町町教育委員会、1995年。 
  • 『古保利古墳群 -第1次確認調査報告書-』高月町町教育委員会、2001年。 

外部リンク



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