受章歴および略綬
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「ユージーン・B・フラッキー」の記事における「受章歴および略綬」の解説
一列目 (海軍)名誉勲章 二列目海軍十字章/金星章(3個) 海軍殊勲部隊章 海軍部隊表彰 アメリカ防衛従軍章 フリート・クラスプ 三列目アメリカ本土防衛従軍章 太平洋戦線従軍章 第二次世界大戦勝利記章 国土防衛従軍章 フラッキーは名誉勲章と海軍十字章のほかに、金星章(英語版)3個、海軍殊勲部隊章リボンおよび海軍部隊表彰リボンを受章し、少将時代にかけてアメリカ防衛従軍章とフリート・クラスプ、太平洋戦線従軍章、アメリカ本土防衛従軍章、第二次世界大戦勝利記章および国土防衛従軍章を受章した。 このうち、名誉勲章の受章理由を下に掲げる。 彼の指揮するバーブは1944年12月19日から1945年2月15日にかけての11回目の哨戒で作戦した中国東海岸部において、落命の可能性とアメリカ軍軍人としての義務の限度を乗り越えて大胆かつ勇敢な攻撃を行った。1月8日、フラッキー中佐は2時間の夜間戦闘で敵の弾薬搭載船などを撃沈したあと、1月25日には大胆にもナンカン・チャンの港沖に集まる30隻の敵船の真っ只中に乗り入れるという偉業を成し遂げた。この海域を抜けるには1時間は見積もる必要があり、また暗礁や機雷の存在も考えられたが、彼は「戦闘配置!魚雷発射用意!」の号令を出して、水深9メートルの海域で2.7キロの範囲にいた敵船に対して艦首発射管の魚雷を発射した。すぐさま艦尾発射管の魚雷も発射し、攻撃の結果、8本の魚雷のうち6本が命中し、弾薬船は周囲をも巻き込むほどの大爆発を起こした。バーブは高速で危険水域を抜け出し、4日後には安全水域に艦を移動させた。英雄的な戦闘行為の締めくくりを、日本の大型貨物船撃沈で締めくくった。アメリカ海軍はフラッキー中佐と彼の勇敢な部下に対し、ここに最高の栄誉を与えるものである。
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受章歴および略綬
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海軍航空徽章 海軍十字章 / 金星章(1個) 海軍殊勲章 / 金星章(2個) 陸軍殊勲章 海軍殊勲部隊章 / 従軍星章(1個) 海兵遠征軍章 / 従軍星章(2個) 1912年ニカラグア戦役章 第一次世界大戦戦勝メダル / Ypres-Lys clasps 1921年ハイチ戦役章 1933年ニカラグア戦役章 アメリカ国防従軍章 / Base clasp アメリカ本土防衛章 太平洋戦線従軍章 / 従軍星章(5個) 第二次世界大戦戦勝メダル 武功章(ドミニカ) 栄誉章ディプロマ(ニカラグア) このうち、海軍殊勲章の受章理由を下に掲げる。 海軍殊勲章1945年4月1日早々に上陸し、以後の3カ月間苦しみながらも戦い抜いた。卓越した専門技能と強力なリーダーシップおよび決意は揺るがず、彼は自分の部隊を指揮し続けた。絶え間ない戦闘状況の最中でもわが身の安全を省みず状況確認を行い、崇高なる勇敢さと達成感をもって部下を鼓舞した。
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