南北戦争での軍務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:41 UTC 版)
「ウィリアム・シャーマン」の記事における「南北戦争での軍務」の解説
ウエストポイント時代の友人の多くが南部の将軍に就任したが、シャーマンは北軍の第13歩兵連隊の指揮官大佐に1861年5月14日に就任。同年7月21日の第一次ブルランの戦いでは、北部軍総崩れの中、軽傷を負いながらも善戦。リンカーン大統領は、シャーマンを准将に昇格させ、ケンタッキーカンバーランド戦線(ケンタッキーからテネシーにかけてのカンバーランド川沿い)の司令官とする。 ケンタッキーでのシャーマンは、過労とストレスで一時期精神に異常を来たし、オハイオ州の実家での静養を余儀なくされるが、1862年4月6日から7日にかけてのシャイローの戦いではグラント配下の師団司令官として善戦。負傷しつつも師団を指揮し、北部軍の敗走の被害を抑えた。この功績で同年5月1日には少将に昇格する。 1863年頃までに、グラントとの間に深い信頼関係を築く。ストレスに弱く、精神的に不安定であったとされるシャーマンと、アルコール依存症であったグラントは、精神的に低調であった際に互いにサポートしあったとされる。1863年7月のビックスバーグの攻略、同年12月の第三次チャタヌーガの戦いの功績は二人で分け合っている。 1864年にリンカーンがグラントをワシントンに呼び戻しアパラチア以東の総司令官および北部軍の総司令官に任命すると、シャーマンは西の総司令官に昇格する。 同年ジョージア州アトランタを攻略(この戦いは小説『風と共に去りぬ』の背景となっている)。占領後、アトランタを焼き払い、11月に「海への進軍」と呼ばれるジョージア州サバナへの進撃作戦を開始する。この作戦はジョージア州の最も肥沃な地帯を焦土と化し、また鉄道や通信などのインフラ設備はことごとく破壊された。24日後の12月21日にはサバナも陥落、綿花の輸出を行う主要な港を落とされたジョージア州は完全に北部軍の手中に落ちた。 1865年にはサバナよりバージニアを目指して北上作戦を開始。途中サウスカロライナ州を徹底的に破壊。サウスカロライナ州の州都のコロンビアは焼き払われた。同年4月にはノースカロライナ州に進撃、ロバート・E・リーの率いるバージニア軍をグラントの東方面軍と戦略的に挟撃出来る位置まで進撃すると、進退の窮まったリーはグラントに降伏、ノースカロライナ州でジョセフ・ジョンストンも降伏し、ここに南北戦争は終結した。 南北戦争後、1866年に中将、陸軍副司令官、そして、大統領となったグラントの後任として1869年に大将、アメリカ合衆国の陸軍総司令官に昇格、1883年に引退するまで14年間、その任を勤めた。
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