南北戦争で従軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/11 13:58 UTC 版)
「ワシントン・ローブリング」の記事における「南北戦争で従軍」の解説
1861年4月16日、ワシントンはニュージャージー州の民兵に入隊する。守備隊以上の仕事をこなし、2ヶ月後には民兵を辞し、アメリカ陸軍の砲兵隊に再入隊する。南北戦争中、ワシントンは、最大の激戦となった ゲティスバーグの戦いをはじめ、繰り返し交戦を見た。戦闘が始まる数日前、落下傘偵察部隊を指揮している間、ワシントンはロバート・E・リーのアメリカ連合国軍が北に向かう動向を記録した。 1863年7月2日、ワシントンはリトル・ラウンド・トップでガバヌーア・ウォーレン准将率いる隊で副官となり、軍事作戦上重要なその地で連隊の発見を命じられた。彼が初めて出くわした連隊はストロング・ビンセント大佐が率いるVクロップス( V Corps (Union Army))で、その軍は迅速に丘を占領し、 ポトマック軍の左側面を繰り返し攻撃を続ける連合国軍から防いだ。ワシントンは武器等を丘の上に引き上げることを手伝った。1864年12月、ワシントンは勇敢な行動を讃えられて中佐に名誉昇進し、のちに大佐となって除隊した。
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