南北戦争とアメリカ連合国の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 02:17 UTC 版)
「グリーンズボロ (ノースカロライナ州)」の記事における「南北戦争とアメリカ連合国の終焉」の解説
ギルフォード郡はアメリカ合衆国からの脱退に賛成票を投じなかったが、一旦ノースカロライナ州がアメリカ連合国に加盟すると、郡から多くの者が南軍側に加わり、ギルフォード・グレイズのような歩兵部隊を形成した。1861年から1865年3月まで、グリーンズボロ市は南北戦争の影響を比較的受けなかったが、北軍海軍による南部海岸の封鎖によって衣類や薬品などの不足に対処するという例外はあった。しかし、戦争の最後の数週間、グリーンズボロは重要な役割を果たした。1865年4月、P・G・T・ボーリガード将軍がテネシー軍指揮官ジョセフ・ジョンストン将軍の指示を受けて、市の防衛準備にあたった。 この期間、アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスや残っていた閣僚が首都リッチモンドを明け渡し、南のダンビルに移動した。北軍騎兵隊がダンビルを脅かしたとき、デイヴィスと閣僚達は列車で脱出でき、1865年4月11日にグリーンズボロで再集合した。かくしてグリーンズボロは一時的にアメリカ連合国の首都になった。デイヴィスと閣僚達はグリーンズボロに居る間に、勝利者である北軍からの捕獲を避けるために海外への逃避を試してみることにした。彼等はグリーンズボロを離れてバラバラになった。このことでグリーンズボロはアメリカ連合国の全政府関係者が集団で会したことでは最後の地として著名となり、グリーンズボロはアメリカ連合国「最後の」首都ということになった。ほぼ同じ頃に、州知事ゼブロン・B・バンスは北軍ウィリアム・シャーマン将軍の軍隊が到着することを予期して州都から逃亡した。1865年4月16日から始まる短期間、ノースカロライナ州の州都はグリーンズボロにあった。 現在のノースカロライナ州ダーラムにあるベネット・プレースでジョンストン将軍とシャーマン将軍の間の交渉が1865年4月26日に成立し、グリーンズボロで南軍兵はその武器を積んで仮釈放を受け、故郷に帰った。
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