南北戦争の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:34 UTC 版)
「第一インターナショナル」の記事における「南北戦争の影響」の解説
チャーティストの残党たちは1860年代の革命的な時代潮流に刺激され復活を遂げていく。1860年代大英帝国の世界支配が完成する一方、新興国の工業化、近代化が急速に進展し始めていた。この時代の動きはアメリカにおいて南北戦争、南欧でイタリア統一運動、東欧でポーランド蜂起(1月蜂起)である。これらの事象に対する労働者の反応が国際的な労働者組織を創立する直接的契機となった。 1861年アメリカの南部諸州が連邦からの脱退を宣言してアメリカ連合国を結成し、アメリカを二分する内乱・南北戦争(1861-1865年)が勃発した。南軍が連邦の軍事拠点に攻撃を加えたことにより戦端が開かれた。リンカーン大統領は1862年9月、『奴隷解放宣言』を発した。この頃からリンカーンは「奴隷制に対する戦い」を大義として戦争を展開した。戦中、大英帝国は公的には中立を保っていたが、南北戦争に介入寸前の状況に置かれており、南部連合も英仏の介入を期待していた。 ただし、ブリテン労働者の反応は単純なものではなかった。ブリテンの繊維産業は南部連合からの綿花に支えられていたが故、労働者の中では南部連合の分離独立のために戦争に介入し、利己的な保護貿易主義の北部のアメリカ合衆国を打倒すべきだという声が高まっていた。だが、一掴みの綿花のためにアメリカの民主主義を見捨てることはできなかった。南北戦争の被害者となったランカシャー労働者は北部への軍事介入の要求も騒擾や打ち壊しもせず自己犠牲的な沈黙を貫いて、1862年末になると多くが北部支持に転向していった。こうしたランカシャー労働者の姿、特権階級が不在のアメリカの政治風土、憲法と民主主義の精神、国際的な気風、そして、移民した家族との絆が一般の労働者を北部支持に引き戻したのである。このような危機をくぐりぬけて労働者階級は自信を深めていく。国際的連携によって世界史的趨勢に影響を与え、国際大義を実現させる運動母体を結成しようとする熱意に火がついた。 「南北戦争」および「en:United Kingdom and the American Civil War」も参照
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