購入への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 02:02 UTC 版)
ロシア人は18世紀末から、毛皮獣の狩猟や交易のために露米会社を設立して北アメリカ大陸太平洋岸一帯に進出しており、一部はカリフォルニア州にまで達していた。しかしロシアが実効支配していたのは沿岸部にとどまったことから英米系の毛皮商人も進出したが、露米会社は生活物資の補給と毛皮の納品をシベリア経由で行う必要があったため彼らとの競争において不利であり、また皮獣の枯渇が進み、経営に行き詰まるようになった。さらに、1853年から1856年にかけてのクリミア戦争では、ブリティッシュ・コロンビア植民地からイギリスに侵攻された場合のアラスカ防衛の困難が認識されるようになった。加えて、そのクリミア戦争の敗北後に国家財政が逼迫するようになった。そのため、ロシアはアラスカを売却することにしたが、イギリスに売却した場合はシベリア極東部がイギリスの軍事的脅威に晒されるため、アメリカ合衆国を取引の相手に選んだ。 ロシアは1859年にアメリカに売却意向を打診していたが、南北戦争の影響もあり、その時点での進展はなかった。1867年3月、ロシア皇帝アレクサンドル2世は在米外交官 Eduard de Stoeckl に命じ、アメリカ合衆国国務長官ウィリアム・H・スワードと交渉を行わせた。 その結果、3月30日午前4時にアメリカがアラスカをロシアから購入する条約が調印された。購入価格は720万USドル(2016年現在の貨幣価値で1億2300万ドル。1871年 円-USドルの為替が開始した時の相場は1ドル1円)で、面積単価は約2セント/エーカー(1エーカー=約4047平方メートル)だった。
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