購入までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:35 UTC 版)
「イェロギオフ・アヴェロフ (装甲巡洋艦)」の記事における「購入までの経緯」の解説
ギリシャ独立戦争を経て1829年に英・仏・露の介入によりオスマン帝国より独立したギリシャ王国は、エーゲ海を挟んで東に対峙するオスマン帝国と厳しい緊張関係が続いていた。列強による強弱取り混ぜた介入政策によりオスマン帝国は弱体化したといっても、建国まもないギリシャ王国には依然として強大な敵であった。ギリシャ海軍は少ない予算から1885年にノルデンフェルトの潜航艇第一号を購入したり、1892年にフランスより海防戦艦イドラ級3隻を購入したりと、着実にオスマン帝国海軍への対抗力をつけていた(ギリシャ海軍の歴史)。だが、オスマン帝国海軍には依然として近代化改装済みの装甲艦6隻と新型装甲艦1隻、蒸気フリゲート8隻が作戦行動可能なレベルに整備されており、完璧とは言いがたかった。 その頃、地中海世界で躍進を続けるイタリア王国が装甲巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディ級の改良型艦を建造すると発表した。既にガリバルディ級は8隻が建造されたが、イタリア海軍に渡ったのは3隻だけで、残りは1隻がスペインに、4隻がアルゼンチンに売却された。2隻は大日本帝国海軍に売却されて春日型装甲巡洋艦(春日、日進)となり、1905年の日露戦争で活躍した。イタリア海軍に納入された艦は、1912年の伊土戦争でオスマン帝国海軍のアヴニッラー級装甲艦アヴニッラー(英語版、トルコ語版)を撃破した実績もあった(ベイルート海戦)。 オスマン海軍への対抗打に欠けていたギリシャ海軍は、イタリアから最新型の装甲巡洋艦を発注することとした。しかし、建国まもないギリシャにとって一隻数十万英ポンドもの大金を用意するのは並大抵の事ではなかった。そこへ、ギリシャを代表する海商王イェオルギオス・アヴェロフ(英語版、ギリシア語版)が海軍に数十万ポンドものの大金を寄付した。アヴェロフは愛国心溢れる富豪であり、1896年にアテネで開催された第1回近代オリンピックにおいて、競技を行う主競技場の建築代金 580,000ドラクマを肩代わりするという、歴史に残る偉業を遺した人物である。そのアヴェロフの献金により不足していた購入代金の1/3を補うことができた事を記念して、ギリシャ海軍で初の排水量1万トンを超える大軍艦の名に「イェロギオフ・アヴェロフ」を冠したのである。 ギシリャが本艦を購入したことで、オスマン帝国との建艦競争に拍車がかかった。最終的にオスマン帝国はイギリスに戦艦レシャディエ(英戦艦エリン)とスルタン・オスマン1世(英戦艦エジンコート)を発注するに至った。ところが第一次世界大戦勃発に伴い2隻ともイギリスに接収されて届かず、ドイツ帝国から巡洋戦艦ゲーベン (Goeben) を購入してヤウズ・スルタン・セリム (Yavuz Sultan Selim) と改名、長期にわたり運用した。
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