南北戦争の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:09 UTC 版)
南北戦争については次のような対立軸が考えられる。 奴隷制を否定する北部 vs. 奴隷制を肯定する南部 保護貿易を求める北部 vs. 自由貿易を求める南部 このように、南北は体制や経済構造において別の国とも言えるほどに違う状況にあった。この対立軸は、19世紀におけるイギリスを中心とした世界経済体制形成の過程で起きた一連の政変・戦争の一環である。この戦争の直前には日本へ黒船を派遣しており、欧州から始まった産業革命の波は東西から東アジアに達していた。農業国としてイギリスから独立して100年が経ち、工業経済化を進める北部と、原料供給地としての農業経済を継続したい南部が、一国としてまとまることが難しくなったために戦争が起きた。 南部は独立を求めた。その理由は奴隷制の維持である。独立しなければ奴隷制廃止の州がどんどん増えて、奴隷制が消滅してしまう。モンロー主義を掲げ、欧州による経済支配を忌避した合衆国は、強い主権国家を標榜しており、南部諸州の離脱は認めがたかった。合衆国としての強い基盤を築くためには、独立を求める南部と対立することが避けられない情勢となった。サムター要塞の戦いをきっかけとして、先鋭化した対立環境は火を噴くこととなった。 結果的に北部が勝利し、合衆国は国民国家として発展を続けることになる。終戦後にアラスカを買収し、北アメリカ大陸は世界的にも安定した情勢を保つことになり移民流入の増大も国力を伸張させた。列強の一つとなった合衆国は、欧州に対する相対的な国力増大を背景に、中南米や東アジアにおいて国際的な活動を展開することとなった。 また、日本においてはこの戦争で使われた中古小銃類が大量に輸入され、戊辰戦争で兵器として使われている。特にアメリカで発明されたガトリング砲は、南北戦争ではあまり使用されず、戊辰戦争ではじめて本格的に使われたと言われる。他、アメリカは1858年に日米修好通商条約を結び、日本の「鎖国」を解除し、日本に大きな影響力を確保したかに見えた。しかし、その後、アメリカは南北戦争および戦争の戦後処理に手を取られたため、戊辰戦争では倒幕側にイギリスが協力、幕府側にはフランスが協力する図式となり、アメリカは大きく関わらなかった。
※この「南北戦争の意味」の解説は、「南北戦争」の解説の一部です。
「南北戦争の意味」を含む「南北戦争」の記事については、「南北戦争」の概要を参照ください。
- 南北戦争の意味のページへのリンク