医学への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:13 UTC 版)
「ベンジャミン・ラッシュ」の記事における「医学への貢献」の解説
ラッシュは当時の精神疾患治療に関する先駆者であった。実際に「アメリカ精神科療法の父」と見なされ、アメリカでは最初のこの分野の教科書「心の病に関する医学的問診と観察」を出版した(1812年)。ラッシュはまた適正な治療が心の病を癒せると考え、精神病院の提唱者でもあった。自分の生誕の地に精神病院を建設した。アメリカ精神医学会の紋章にはラッシュの肖像が入っている。 ラッシュはまた依存症という概念を発明したとも言われている。ラッシュの頃まで、酔っ払うことは罪深いことであり、個人の選択の問題とされていた。ラッシュはアルコール依存症が自制心を失わせるという概念を紹介し、病因としてアルコール依存の選択よりもアルコールの特性であるとした。ラッシュは医学の病気の一形態として依存症の概念を発展させ断酒が依存症に対する唯一の治療法であるとした。 ラッシュは園芸による精神療法、特に精神病院に付属する形での療法の父と考えられることがある。ラッシュの著書「心の病に関する医学的問診と観察」には次のように書かれている。 病院にはいっている男性の狂人は木を切ったり、火を熾したり、庭園を掘ったりすること、女性の患者の場合は洗濯、アイロンかけ、床を擦ることでしばしば快復する。階級が高くてそのような作業を免じられている者は病院の壁の中でいつまでも人生を送る、というのは注目に値する。 精神医学に対する貢献のほかに、1793年のフィラデルフィアを襲った黄熱病について臨床記録を書いた。このときラッシュは1日に120人の患者を診療した。またデング熱と考えられる病気の最初の臨床記録も残した(1780年の症例を1789年に出版)。 ラッシュは瀉血、下剤や水銀製剤の摂取などの過激な治療を多用する「ヒロイック・メディシン」(英雄的医療) (1780-1850)の時代を生き、その」強い提唱者と考えられている。 ラッシュの経歴の中でも3,000名以上の医学生を教育し、そのうちの何人かがラッシュの死後にラッシュ医大をシカゴに造ったことは特筆に値する。ラッシュの弟子の一人、サミュエル・A・カートライトはアメリカ連合国の軍医となり、ミシシッピー州ビックスバーグやルイジアナ州ポートハドソンのキャンプの衛生状態を改善した。 シカゴのラッシュ大学医療センターは元ラッシュ=プレスビテリアン=セントルークス・医療センターであり、ラッシュの名前に因んで名づけられた。
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