医学への貢献、献体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:24 UTC 版)
杉山は医学への関心が強かった。長女瑞枝は東京慈恵会医科大学学長であった金杉英五郎の甥に嫁ぎ、次女たみ子は耳鼻咽喉科医の石井俊次に嫁した。自宅には医務室を設け、数多くの医薬品を備えていたという。実弟龍造寺隆邦が癌腫に倒れたときは、当時の最新医療を種々試みさせ、脳溢血で死去した際は、解剖に付して病因を探らせた。杉山は自ら遺言して、死去後は遺体を医学研究のため献体することとした。このため、昭和10年(1935年)7月19日の没後、杉山の遺体は東京帝国大学で解剖に付された。門弟星一の岳父で東京帝大教授の小金井良精らが立ち会った。杉山の妻幾茂も、夫に従ったのか、死去の際献体した。現在東大医学部には、杉山夫妻の骨格標本が並んで保存されている。
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