制定後から「建国記念の日」に変わるまでとは? わかりやすく解説

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制定後から「建国記念の日」に変わるまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 22:43 UTC 版)

紀元節」の記事における「制定後から「建国記念の日」に変わるまで」の解説

詳細は「建国記念の日」を参照 紀元節には、宮中皇霊殿天皇親祭祭儀が行われ、各地神武天皇陵遙拝式も行われた1889年明治22年)には、この日を期して大日本帝国憲法発布され、これ以降憲法発布記念する日にもなった。1891年明治24年)には小学校祝日大祭儀式規程明治24年6月17日文部省令第4号)が定められ天皇皇后御真影写真)に対す最敬礼奉祝校長による教育勅語奉読などからなる儀式小学校で行うことになった1914年大正3年)からは全国神社紀元節祭を行うこととなった1926年大正15年)からは青年団在郷軍人会などを中心とした建国祭式典各地開催されるようになった第二次世界大戦後1947年昭和22年)、片山哲内閣により、日本国憲法にふさわしい祝日法案紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除され、法は1948年昭和23年7月施行された。日本独立回復した1952年昭和27年)から復活運動がおき、1957年2月13日自民党纐纈弥三らは、建国記念日法案国会提出し5月15日衆議院可決(のち審議未了)、また1958年昭和33年)に国会議案提出された。その後、「紀元節」の復活賛否両論あるなか数度廃案と再提案経て1965年2月3日首相佐藤全国知事会議で建国記念日2月11日が適当、祝日法改正案政府立法国会提出する所信表明1966年昭和41年)に、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という趣旨の「建国記念の日」を定め国民の祝日に関する法律改正成立した。同改正法では、「建国記念の日」の具体的な日付について定めず政令によって定めこととしていた。そのため、同年12月佐藤栄作内閣は、建国記念の日となる日を定め政令昭和41年政令376号)を定めて、「建国記念の日」を2月11日とした。同政令即日施行され、翌1967年昭和42年)の2月11日実施された。こうして、紀元節祭日であった2月11日は、「建国記念の日」として祝日となった1966年12月8日建国記念日審議会建国記念日2月11日答申し12月9日公布された(政令)。

※この「制定後から「建国記念の日」に変わるまで」の解説は、「紀元節」の解説の一部です。
「制定後から「建国記念の日」に変わるまで」を含む「紀元節」の記事については、「紀元節」の概要を参照ください。

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