制定後の反英感情
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「南アフリカの国旗 (1928年-1994年)」の記事における「制定後の反英感情」の解説
黒人への譲歩を進めていたヤン・スマッツ政権に対し1948年の総選挙でマラン率いる国民党が大勝すると、マランは有色人種に対するアパルトヘイト政策を強力に推進する一方で、ついに「旗についた血痕」であるユニオンジャックを国旗から取り除こうとしたが、結局失敗した。1957年には『女王陛下万歳』との共同国歌であった『南アフリカの呼び声』を単独国歌としたのと同時に、共同国旗からユニオンジャックを除いて南アフリカ連邦国旗のみを国旗とした。 1961年に南アフリカ連邦がイギリス連邦から離脱し、君主制国家から共和国に移行したが、国旗のデザインに変更はなかった。1968年、バルタザール・フォルスター首相が1971年の共和政10周年を機に新国旗を制定しようという提案を行ったが、結局この時も変更はなされなかった。国旗が変わらない間に南アフリカの国家イメージはアパルトヘイト政策のために著しく悪化し、ついにオレンジ・白・青の旗は「アパルトヘイトの旗」という悪名を得ることになった。このころ、各所に掲げられている国旗の色合いがまちまちであり、しかも初期の南アフリカ連邦国旗がイギリス国内で製造されたために、ユニオンジャックの紺色と同じ深い青色が使われていることがわかり、議論が起こった。1982年には国旗制定当時に意図されていたような淡い青(ソルウェイブルー、Solway blue)が正式な色合いだと定められた。 1928年から1982年までの、色の濃い国旗 オランダの旧国旗、「プリンスの旗」 2:1比の国旗。1941年の『South Africa Marches On』で確認することができる 1982年から1994年までの国旗
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