列車式便所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:53 UTC 版)
汽車便 洋式列車便所 日本の和式列車便所の特徴的な形態として、元来屈んで用便する形態ながら男性が立って小用する用途にも使いやすいよう、床を2段式として便器後端を手前側に突出させていることが挙げられる。この形態は「両用便器」「列車式便所」ないし「汽車便」(きしゃべん)と呼ばれ、面積の制約から男性用小便器を独立して設置できない住宅などにも昭和初期から取り入れられるようになった。 古くは便器後端を突き出させた構造は後年と同じであったが、床面から20cm程度便器が宙に浮いたような作りになっていた。便器周囲は配管がむき出しで床は設けられておらず、便器両側には屈んで用便するための踏み台が設けられ、その天板は石板を用いていた。だがこれでは便器周囲に飛散した汚物を完全に清掃することが難しく不潔であるため、1949年以降の鉄道車両(国鉄80系以降)は、家屋同様に便器周囲に完全に床を付けて階段状とし、併せてタイル張りとすることが普及した。この階段状の便器を考案したのは島秀雄であり、後に彼の苗字を取って「S式便器」と呼ばれるようになった。さらに1950年代後半以降、列車便所内装にはアルミニウム・プラスチックの化粧板やビニル床材が用いられるようになり、より清掃しやすくなった。1960年代後半からは強化プラスチックによる一体成型型便所も用いられ、組立・清掃の省力化を図っている。 走行中は揺れるため、便器の前の壁に手摺りが設けられている。 戦前の日本の鉄道では洋式便所の例は初期を除いてほとんどなく、外国人の利用が想定される優等車両(かつての1・2等車、現在のグリーン車など)であっても、和式便器上に別体の便座を適宜取り付けて洋式便器の代用としていた(2022年時点で現存する車両ではJR西日本が保有するマイテ49形一等展望車の便所に残されている)。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは「合理的なアイデア」と評価していたが、実際には不潔で評判が悪かった。 列車便所に洋式便器が本格普及したのはスロ60形特別二等車(現在のグリーン車)が登場した1950年以降で、当時の進駐軍の要請がきっかけである。以後優等車両は洋式・和式便所を各1ヶ所ずつ配置するようになったが、1990年代以降はバリアフリー化の動きや乗客のニーズに伴い、普通列車用車両でも高齢者や障害者が安全に利用できる洋式便器のみを設置する例が増えている。JR四国のように地域性を理由に洋式便器の導入には消極的なところもあるが、全体としては洋式便器への移行傾向が強い。他者との便座共用を嫌う旅客の意に対しては、当初は電動巻き取り式のポリエチレン覆い膜付き便座を用いた例もあったが摺動部の故障が多く、一般の洋式便所と同様に便座用敷き紙もしくは消毒拭き取り液の設置が一般的になりつつある。 男女共用の便所の他に、女性専用の個室を設けたり、室内に男性用小便器を備えた男性専用の個室を設置することや、あるいは男女別の洋式便所を設置するケースもある。
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