刈和野の大綱引きとは? わかりやすく解説

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刈和野の大綱引き

名称: 刈和野の大綱引き
ふりがな かりわののおおつなひき
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 刈和野大綱保存会
指定年月日 1984.01.19(昭和59.01.19)
都道府県(列記): 秋田県
市区町村(列記): 大仙市刈和野
代表都道府県 秋田県
備考 旧暦1月15日
解説文: 我が国には、小正月綱引き盆綱引き十五夜綱引きなど季節の折目に綱を引きずったり綱を引き合ったりする行事広く分布していたが、その多く形骸化したり消滅してしまった。綱引きは、元来庶民信仰から発生した行事で、生業社会構成世界観など相違から複雑な様相呈して行われてきたものの、その根底には生業人生対す願いこめられていた。
 刈和野綱引き行事は、旧暦一月十五日の夜、刈和野大通りで町を二分して行われる。これに要する綱は毎年新藁集めて作られる。この綱作りは、集め藁打ちグミ組み、綱作りの順に行われる十日前ごろからとりかかり、延べ四百人ほどを要する上町二日町)は雄綱を、下町五日町)は雌綱を分担して完成する。雄綱は長さ六四メートル最大直径約六七センチ、雌綱は長さ約五〇メートル最大直径約六六センチ。そして、各尻綱約三〇メートル、小綱約四〇本(一本二三メートル)をとりつける。これに使用されるはおよそ七千束とされている。完成後は、両町境界線ドップ近くに、各綱の先端部分(雄綱は「ケン」、雌綱は「サバグチ」という)を上に出すよう、とぐろ巻きにして安置する
 当日午後精進潔斎し年男浮島神社から市神いちがみ】を背負ってドップまで奉戴し、そこで神官綱引きの安全を祈って祝詞奏上その後路上で綱のばしをし、雄綱・雌綱にそれぞれ尻綱・小綱を取りつける
 綱引き夕食後で往時最後通行人見送ってから始まった伝えられている。はじめ両方若者たちによって押し合い続き、ついで引き手が綱につくようになると、相互に綱の出し合い始まり、それを勢いよく数回繰りかえすこうした雰囲気高まりのなかで、責任者指示に従って雄綱のケンを雌綱のサバグチに通して合わせ完了手振り合図によって引き合いがはじまる。数千人にもおよぶ人々が綱につながりサントウ提灯持ち)の灯りのふり方にあわせて掛け声勇ましく引き合う様は圧巻である。引き合い延々三十分間以上におよぶことが少なくないものの、勝負一回限り終って、綱は木槌【きづち】や挺子【てこ】でほぐされ、浮島神社境内奉納される
 この刈和野綱引き行事は、綱作り引き合い方などから、沖縄本島などに分布する行事酷似しているが、東日本では類例乏しい。小正月満月の夜に雄綱・雌綱を介して押し合い出し合い繰りかえすからすれば豊饒多産呪術秘められていると見られ上町勝てば米の値段があがり、下町勝てば豊作になるといわれて年占要素も持つ行事である。


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