再開業に向けた運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:30 UTC 版)
「ボーダーズ・レールウェイ」の記事における「再開業に向けた運動」の解説
1992年、ボーダーズの建築家サイモン・ロングランドがウェイヴァリー線(英語版)の廃線跡をバイクで調査し、再開業の可能性を評価するためボーダーズ・トランスポート・フューチャーズ社を設立した。同社は実現可能性の調査を行った後、グレトナ(英語版)で西海岸本線から分岐し、ロングタウン(英語版)からリッカードン・ジャンクション駅(英語版)を経由してキールダー・フォレスト(英語版)に至る(グレトナ~ロングタウンはかつて存在した連絡線、リッカードン・ジャンクション以遠はボーダー・カウンティーズ鉄道(英語版))材木輸送用の支線を計画し、1997年には議会への提案目前までこぎつけたが、土地所有者の承諾が得られず頓挫した。この計画は「南ボーダーズ鉄道」と呼ばれており、同社のもう一つの計画であるエディンバラ・ガラシールズ(英語版)間の「北ボーダーズ鉄道」がボーダーズ・レールウェイのもととなっていく。なお、両者を接続する計画はなかった。 1999年に設立されたボーダーズ・レール運動は北ボーダーズ鉄道計画をもとにガラシールズ~ツイードバンクの旅客再開業計画を推進した。同じ年、スコットランド議会はクリスティーン・グラハム(英語版)議員提出のボーダーズ地域の経済衰退を止めることを目的としたウェイヴァリー線再開業決議を可決した。これを受け、スコットランド省はスコット・ウィルソン・グループ(英語版)に採算性調査を依頼し、2002年2月に解決に高額な費用を要する障害がいくつかあるものの、旧線の大半が再利用できることから「大きな計画上・環境上の制限はない」との回答を得た。 エディンバラ~ゴアブリッジ(英語版)間の19kmでは、合計4か所の障害が指摘された。エディンバラ・シティ・バイパスとの交点では、計画時に地元の自治体が陳情を行ったのにもかかわらず運輸省に押し切られてしまい、道路が旧線跡を200mの長さにわたって斜めに横切っていた。エスクバンク(ダルキース)~ゴアブリッジ間ではA7号線の改良によって2か所で干渉が起きており、ゴアブリッジでは住宅街となってしまった部分が1か所あった。ゴアブリッジ~ツイードバンク間ではさらに干渉があり、インフラの整備費用が1億ポンドを超えることが予想された。また、利用客数の予想も芳しくなく、黒字化は見込めないとされており、赤字幅が最小になるのはゴアブリッジまでの整備であるとされた。その一方で、再開業はスコティッシュ・ボーダーズに900人分の雇用を新たに作り出すなどプラスの経済効果が見込まれるとされ、単線での敷設であっても、最高速度113km/h(70mph)~145km/h(90mph)が達成でき、ボーダーズ(ガラシールズ)からエディンバラへの所要時間が自動車での55分から45分に短縮できるとされた。 また、260万ポンドの追加投入により、材木輸送用にキールダー・フォレストまでの延伸も提案されている。 調査報告書ではゴアブリッジまでの再開業が赤字幅が最小だとされたものの、ボーダーズとの接続を求める要望に負け、スコットランド政府はガラシールズ地域までの再開業を行いエディンバラ通勤路線を48km延ばすこととした。 要望は特にボーダーズ・レール運動から来ており、2000年2月には17,261筆の署名がスコットランド議会に対して提出され、農村地域委員会を満場一致で通過したのちに本会議に送られている。同年6月1日に行われた討論では、「スコティッシュ・ボーダーズをエディンバラとカーライルを通して鉄道網に接続する提案を認め、スコットランド執行部(のちのスコットランド政府)が戦略鉄道庁(英語版)などに諮ることを促す」決議(SIM-922)を満場一致で成立させた。スコティッシュ・ボーダーズ、ミッドロージアン、エディンバラの各カウンシルとスコットランド開発公社ボーダーズ、ボーダーズ・トランスポート・フューチャーズ、レールトラック、スコットレール(ナショナル・エクスプレス)はツイードバンクまでの再開業を進めるため、合同でスコットランド執行部の公共交通財源から190万ポンドを獲得し、3つのカウンシルは計画推進のためウェイヴァリー鉄道合同委員会を結成、1992年交通建設法(英語版)に基づいた申請のためにコンサル会社のターナー&タウンセンド(英語版)を雇った。
※この「再開業に向けた運動」の解説は、「ボーダーズ・レールウェイ」の解説の一部です。
「再開業に向けた運動」を含む「ボーダーズ・レールウェイ」の記事については、「ボーダーズ・レールウェイ」の概要を参照ください。
- 再開業に向けた運動のページへのリンク