六本木事件以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:17 UTC 版)
ハワイから日本に帰ってきた直後の2012年9月に六本木クラブ襲撃事件が発生。この事件は反関東連合グループのトップである兄弟の弟を狙ったものだが人違いで死亡させた事件であった。事件発生の当日の夜にMと会い、Mの後輩が運転する車の中でMは「自分が実行犯であること、さらに最初の一撃を加えた張本人であること」を告白し、「下の3人に罪をかぶらせて終結されることや自分は暫く海外で隠れること」を宣言し、逃亡のための金の面での援助を提案してきた。柴田はMが事件の実行犯として関与したことに驚く一方で、Mの「下の3人に罪をかぶらせて終結されること」というロジックに懐疑的なコメントを返した。 Mは海外逃亡した後で、柴田はMと同じく事件に関与したMと同い年の2人と弁護士を交えて相談に乗るようになる。話し合った結果、元同級生2人は「逃亡せずに全員が出頭し、人違いで襲ったことは認めた上で、殺意を否認して傷害致死で減刑を狙うこと」になったが、Mはその方針に同意せず「下の3人だけに罪をかぶらせて終結させ、当面は自分を含めた他のメンバーを逃亡させる」「知り合いの女性にレイプされたからその復讐でやったと言い張らせる」方針を持ち、元同級生2人と直接やり取りしようとはしなかった。事件について元同級生は警察に出頭し、それに激怒したMが「裏切り者の元同級生は許せない」「裏切り者を支援する柴田も裏切り者は許せない」「事実上身柄が拘束されている元同級生の供述を覆させろ」と脅迫がエスカレートしていった。 Mが仙台に本家がある山口組系暴力団を出した上で「元同級生の供述を覆さなければ、柴田を殺す」と脅迫されたことで、関東連合を決別し、筆名「工藤明男」として関東連合の内幕本『いびつな絆 関東連合の真実』を出版することになった。「工藤明男」のプロフィールとして「東京・杉並区出身の関東連合元リーダーで、ITや芸能の分野で活動後、複数の企業の筆頭株主として投資と企業コンサルタントの活動に主に従事しており、警察当局から関東連合の資金源と目されてきた人物」としていた。筆名の由来は「ネット住人の妄想によって作り上げられた“関東連合の(架空の)黒幕”『工藤明生』のパロディー」。発売時期に『週刊文春』(7月4日号)の関連記事で初のインタビューを受けている。 本を出版後、ほどなく警視庁の保護対象へ、さらに商業登記から住所が割れる事態を防ぐためにそれまでの事業役職の一切を辞したうえで株主配当のみを受ける生活に入った。六本木クラブ襲撃事件に関しては、2013年末に開かれた被告2名の公判に証人として出廷するなどもしている。 以後は関東連合や闇社会にまつわる話でメディアに寄稿している。しばらく筆名で通していたが、2016年に「柴田大輔」と実名を公開するようになる。実名を公開した理由として「実名を出さないのは卑怯だと言われるのが癪だから」「すでにネット上でも人間関係でも工藤明男イコール柴田大輔というのは周知の事実ですから」と述べている。 2016年12月にAbemaTVのAbemaPrimeでサングラス姿という形で初めて動画に声出し出演して、関東連合に関してコメントしている。 2021年11月28日、死去。42歳没。時期は不明だが精神安定剤を服用していて、衝動的に自分で自分の身体を刃物で切りつけた自殺とみられている。
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