筆名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 07:09 UTC 版)
その名は別の筆名「犬上利一」の語義的反転のような発想で付けられたものであり、すなわち、「犬」と「ねこ(猫)」、「上」と「した(下)」、「利一(麻雀用語:リーチ)」と「PONG(麻雀用語:ポン)」が対を成している。犬上利一の名は某有名漫画家(劇画家)への憧れからその名に肖り、同時に、苗字は出身地名「犬上郡」(犬上御田鍬縁の地でもある)を、個人名は世話になった先輩の名を当てたものでもある。
※この「筆名の由来」の解説は、「ねこしたPONG」の解説の一部です。
「筆名の由来」を含む「ねこしたPONG」の記事については、「ねこしたPONG」の概要を参照ください。
筆名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:20 UTC 版)
「海音寺潮五郎」という筆名の由来については、海音寺本人が『日、西山に傾く』収録の「夢想の筆名」の中で詳しく説明している。それによると、この筆名を初めて用いたのは昭和4年の上半期に「サンデー毎日」の懸賞小説に応募したときであるという。 当時、海音寺は中学の教師をしていたが、小説を書くという行為に対して世間の理解が乏しかったため、本名を隠すためにペンネームを検討していた。考えているうちにうとうと眠ってしまった海音寺は、これまで一度も行ったことがないにも関わらず、紀州の浜辺で眠っているという夢をみた。その夢の中の夢で、誰の声ともわからないが「海音寺潮五郎、海音寺潮五郎、…」と呼ぶ声が聞こえ、そこで夢から覚めた。そして、「ああ、これでいいや。これならわかるまい」と思い、「海音寺潮五郎」をペンネームに小説を応募したとのことである。なぜ「海音寺潮五郎」という名前が急に思い浮かんだのかについて海音寺は、「上田敏の訳詩集「海潮音」や近松門左衛門と才をきそった紀海音などのことが意識の深層部にあったのかもしれない」と説明している。 このとき懸賞小説として応募した『うたかた草子』は見事当選したが、本名を秘匿して欲しい旨を明示していなかったため、ペンネームと共に本名が公開されてしまい、ペンネーム案出の苦心は何の役にも立たなかったというオチがついている。 のちに三田村鳶魚に「君の名前は『観音経・下』にある」と言われ、読んだところ、その意味からすると、人が書けないようなものを書くという意味になり、傲慢な命名であったことを知り驚いたという。
※この「筆名の由来」の解説は、「海音寺潮五郎」の解説の一部です。
「筆名の由来」を含む「海音寺潮五郎」の記事については、「海音寺潮五郎」の概要を参照ください。
筆名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 06:41 UTC 版)
最初の作品『王妃カトリーヌ・ド・メディチ』を出版する際、「連名だと研究書の印象になってしまう」と編集者に言われ、筆名を使用することになり、ともに「操」の意味や五感、中性的な雰囲気が気に入り、それに合う姓として「桐生」を選んだ。
※この「筆名の由来」の解説は、「桐生操」の解説の一部です。
「筆名の由来」を含む「桐生操」の記事については、「桐生操」の概要を参照ください。
- 筆名の由来のページへのリンク