筆名について
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ミシェル・ド・ノートルダムが本格的な著述活動に入るのは1550年頃からであり、ミシェル・ノストラダムスというラテン語風の表記をまじえた筆名を用いるのはこの頃以降のことであったとみなされている。公刊されたものとして現在確認できる最古のものは、1555年向けの暦書の表紙に書かれているものである(公刊されたものに限らなければ、現存最古は手稿『オルス・アポロ』に書かれた署名である)。 日本語文献の中には学生時代から用いていたとするものもあるが、史料的に裏付けることができない。学生時代の自署としては、モンペリエ大学入学時の入学宣誓書が現存するが、そこでは、ミカレトゥス・デ・ノストラ・ドミナ (Michaletus de Nostra Domina) という正式なラテン語表記が採られている(ただし、このミカレトゥスは、ミシェルを愛称化した上でラテン語表記したものである)。 また、日本では、ミ(ッ)シェル・ド・ノストラダムスという表記もしばしば見られるが、「ノストラダムス」の前に「ド」を付けるこのような表記は、ノストラダムス本人の著作には見られない。本来これは、同時代の偽者の一人であるノストラダムス2世が用いたものであった。ゆえに、不正確な表記ではあるのだが、同時代人にとっても紛らわしいものであったらしく、ノストラダムスの実弟ジャンの著書(1575年)や秘書シャヴィニーの著書(1596年)でも、「ミシェル・ド・ノストラダムス」と書かれてしまっている(この種の誤用の現在確認できる最古のものは、1556年10月14日付で暦書に与えられた特認の文面である)。
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筆名について
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「井上純一 (イラストレーター)」の記事における「筆名について」の解説
2012年までの「井上純弌」名義の時は、「弌」を大字の「弐」と誤記されることがあるらしく「Web希有馬屋」の自己紹介のページでは「井上純“弐”(に)じゃないです。イチです。」と断り書きを入れていた。なお「弌」は「一」の異体字だが、日本の法令で定められている大字及び人名用漢字には含まれていない。 井上純弌名義よりも以前に「希有馬」の名義での投稿も行っていた。 『中国嫁日記』のヒットを機に、「今までよりも多くのメディアで取りあげてもらう際に『弌』を『弐』と間違われることを減らすため」、同作品の関連商品における作者名の表記を全て「井上純一」にするつもりだと明言し、さらに2012年7月刊行の『アルシャードセイヴァーRPG』以降は、TRPG関係の刊行物の名義も「井上純一」に変更することを明言した。
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筆名について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 15:37 UTC 版)
はすまるの「はす」は、『蓮』から。本人談によると、「もふもふ」も大好きだが、「いぼいぼ」感もたまらないそう。
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筆名について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:08 UTC 版)
なお、『不思議な捕物帳!楽しみながら二目上がる』(囲碁1973年7月特大号・第2付録)は「早条逸光」名義の著書だが、相場の2000年の著書『奇妙な死活』の中で、同書からの引用が多数あり、また早条逸光が「そうじょういっこう」(=相場一宏)と読めることもあり、相場のペンネームの可能性がある。 なお『上手の割り込み反対!六目以上の必勝法』(囲碁1974年7月特大号・第2付録)、『棋聖秀行の碁』(四星社)、『囲碁名局年鑑 82年版』(四星社)についても、編集名義は類似した名前である「早条一光」となっている。
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