筆写譜の発見
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「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲」の記事における「筆写譜の発見」の解説
20世紀初頭になってドイツの音楽学者オットー・ヤーン(1813年 – 1869年)の遺品の中から、それまで知られていなかったオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲の筆写譜が発見された。ヤーンによる伝記『W.A.モーツァルト』の校訂者であったヘルマン・ダイタースは1904年の改訂出版の際、「この筆写譜は消失したフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲の編曲譜である」という説を発表した。この説が支持された根拠は、モーツァルトが10月3日の父に宛てた手紙で、 ル・グロ氏は、それを独占しているつもりですが、そうは参りません。ぼくは頭の中にまだ生き生きと入れてありますから、家へ帰ったら、さっそくもう一度書き上げます — 柴田 1980、195頁 と記しているからである。 この説は広く受け入れられ、1905年のケッヘル第2版ではこの筆写譜をオリジナルの真正の編曲とみなして「付録」を示す「Anh.9」の番号を付し、さらに音楽学者のアインシュタインが改訂した1937年の第3版では「K.297b」という番号を与えて作品目録の「本編」に組み入れた。しかしこの説では散逸したフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲に関する史料と比較検討した際に、なぜソロ編成がフルートからクラリネットに変更されたのかという疑問への説明がついていない。また、本作はすべての楽章が同じ変ホ長調で書かれているという重要な疑問点があり、筆写譜や伝記的状況、クラリネットなどの用法を詳細に検討した結果、偽作の可能性が非常に強いという判断を下し、1964年のケッヘル第6版では、「疑作、偽作」を示す「Anh.C14.01」という番号を与えた。そしてオリジナルが消息不明のままフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲はK.297Bとしてその存在だけが本編に組み入れられた。本作をモーツァルトの真作と見る研究者もいるが決定的な証拠が欠けているため、散逸したフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲の自筆稿の発見でもない限り、真偽の決定が困難な状況である。 音楽学者のフリードリヒ・ブルーメは 「……しかし作品の由来はなお曖昧であるとはいえ、我々が所有している版の真憑性に対して早まった疑問を投げかけることは、間違っていないだろうか。なぜなら、作品のどの部分にも――編曲版のどの部分にもというわけではないにしても――モーツァルトの手が明瞭に認められるからである」 — 音楽之友社 1983、318頁 という見解を示している。
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