公営時代(1995-2003)
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「滋賀会館シネマホール」の記事における「公営時代(1995-2003)」の解説
滋賀県は滋賀会館の全面改修に合わせて、1994年から1995年には5階の会議室を107席の映画館に改修。閉館から27年が経った1995年(平成7年)1月29日、滋賀会館5階に滋賀会館シネマホールが開館し、京都国際映画祭で監督賞を受賞した『息子の告発』(厳浩監督)が初上映作品となった。滋賀県唯一の公営映画館、日本初の公営ミニシアターである。スクリーンの大きさは縦2.2m×横5mであり、座席数は車いす席も含めて109席である。 開館時の滋賀県は全国的に見て映画館数が少ない県であり、大津市の映画館としてはびわ湖パラダイスドライブインシアターと瀬田アルプラ劇場しか存在しなかった。近隣に映画館がなかったこともあり、当初は子ども向け作品を中心に上映していた。年間11,000人から15,000人の観客を集め、1998年(平成10年)の14,989人がピークであった。神戸連続児童殺傷事件が未解決だった1997年(平成9年)6月には、死体の首を切るシーンがあるホラー映画『シャロウ・グレイブ』の上映を自主的に中止した。 2002年(平成14年)1月から2月には開館7周年を記念して、アッバス・キアロスタミ監督のイラン映画『ABCアフリカ』、イラン映画『キシュ島の物語』、韓国映画『反則王』の3作品が上映され、『ABCアフリカ』は関西地方でのロードショーに先駆けた公開となった。同年9月1日には7年前の開館からの延べ入場者数が10万人を達成し、10万人目となった男性に1年間のフリーパスが贈られた。 公営時代の動員数ランキング順位上映年作品監督動員数1位 2000年 顔 阪本順治 1,309人 2位 2000年 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ ヴィム・ヴェンダース 1,002人 3位 2001年 山の郵便配達 フォ・ジェンチー 912人 4位 1998年 ムトゥ 踊るマハラジャ K・S・ラヴィクマール 868人 5位 1999年 バッファロー'66 ヴィンセント・ギャロ 837人 滋賀会館シネマホールの開館後、1990年代後半には滋賀県でもシネマコンプレックスのブームが起こった。1996年までには彦根市の彦根ビバシティシネマと大津市のOTSU7シネマ(現ユナイテッド・シネマ大津)が開館し、2000年にはワーナー・マイカル・シネマズ近江八幡(現イオンシネマ近江八幡)と水口アレックスシネマが開館した。2000年までの6年間で12館から36館と3倍に増え、1950年代末の映画最盛期を上回った。滋賀県の人口10万人あたりの映画館数は2.7館であり、兵庫県の1.9館、大阪府の1.8館、京都府の1.5館などを大きく上回って近畿地方最高だった。 大津市内にシネコンが開館したことで、滋賀会館シネマホールの入館者数や収益が減少。さらに外部監査によって建物の老朽化が指摘されたことで、滋賀会館シネマホールは2003年(平成15年)3月30日をもって閉館した。公営映画館時代には8年2か月で436本の映画を上映し、最終上映作品はイギリス映画『アイリス』だった。閉館前年の2002年にはアート系作品を年間約50本上映していた。建物の老朽化や滋賀県の財政難などが閉館の理由であり、映画館としての閉館後には一時的に貸しホールとして活用された。
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