公営競技としての歴史とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 公営競技としての歴史の意味・解説 

公営競技としての歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:16 UTC 版)

ばんえい競走」の記事における「公営競技としての歴史」の解説

競馬の歴史 (北海道)」も参照 太平洋戦争後の1946年地方競馬法施行規則第9条により、競走の種類駈歩平地競走)、速歩速歩競走)、障害障害競走)、輓曳(ばんえい競走)の4種類定められたこと を受け、ばんえい競走公式競技となったばんえい競走採用され背景には、戦時中軍馬として徴用された農用馬が戻ってこなかったため、農村部で農用馬が不足していたことに加え当時食料不足重なり、馬の増産急務であったことが挙げられる。 翌1947年10月16日には北海道馬匹組合連合会馬連)によるばんえい競走旭川競馬場において実施され公式競技として初のばんえい競走が行われた。 1948年施行された(新)競馬法により、地方競馬主催都道府県もしくは競馬場存在する市区町村限られることとなったものの、この年前年興行不振などを理由に休催。1949年から「道営競馬(現・ホッカイドウ競馬)」により、ばんえい競走旭川帯広再開された。道営当初ばんえい競走の他に平地競走速歩競走行っていたが、道営でのばんえい競走1966年廃止された。 1953年には、市内競馬場所在する旭川市岩見沢市帯広市北見市の4市による「市営競馬」が発足市営当初平地ばんえい行っていたが、1962年ばんえい競走一本化した。こうして1970年以降道営競馬平地競走のみ、市営競馬ばんえい競走のみを開催する運営形態となり、現在に至っている。 市営競馬当初、4市が所在する競馬場において個別開催していたが、1968年に「北海道市営競馬協議会」が発足1989年には一部事務組合として改組された「北海道市営競馬組合」が開催引き継いだが、2006年度限り帯広を除く3市が撤退前述したため組合解散し、現在は帯広市による単独開催となっている。 道外でも、青森競馬場で法に基いたばんえい競走行っていた が、青森競馬場1951年廃止されたため、道外での公営競技によるばんえい競走短命に終わった。 かつてのばんえい走路はU字型(馬蹄型)のオープンコースで、最大出走可能頭数フルゲート)も現在に比べ多かった1963年旭川現在の直線セパレートコース導入 すると、5年後岩見沢帯広北見追従している。また障害かつては3つあったが、1974年より現行の2つになった。なお、ばんばではレース後のそりの移動容易にするため、現在でもU字形コース形態残っているところもある。

※この「公営競技としての歴史」の解説は、「ばんえい競走」の解説の一部です。
「公営競技としての歴史」を含む「ばんえい競走」の記事については、「ばんえい競走」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「公営競技としての歴史」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「公営競技としての歴史」の関連用語

公営競技としての歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



公営競技としての歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのばんえい競走 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS