公となったステルス機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 17:57 UTC 版)
「F-117 (航空機)」の記事における「公となったステルス機」の解説
1988年1月、アメリカの老舗軍事情報誌である『Armed Forces Journal』(英語版)は同月に発行された号にて「"F-19"として存在が噂されている機体は実際に存在しているが、形式名はF-19ではなく"F-117"であり、“ナイトホーク(Night Hawk)”というニックネームも与えられている」との記事を掲載した。 それまでも1980年代を通して「アメリカ軍ではレーダーに映らない特殊な性能を持った戦闘機が"F-19"の名称で極秘に開発されている」として様々な推測や憶測がマスメディアを中心に語られていたが(後述「#「F-19」とプラスチックモデル」の節参照)この時期になると、メディアに掲載される推測も多分に実態に迫ったものになってきており、更には並行して開発が進められていたATB(Advanced Technology Bomber. 先進技術爆撃機(B-2ステルス爆撃機として結実したもの)および新たなステルス戦闘機の開発計画であるATF(先進戦術戦闘機計画)の両計画が情報非公開の状態で進めることが難しい段階に進んでおり、B-2の公表も決断されていたため、既に実戦配備されているF-117の存在と併せて“ステルス機”についての情報を秘匿することが不可能だと判断したアメリカ国防総省は、情報の公開を決定した。 ステルス機についての情報を公開するにあたり、国防総省は当初は発表時期を1988年10月内に予定していたが、この年は大統領選挙(1988年アメリカ合衆国大統領選挙)が行われるため、上院軍事委員会(SASC. United States Senate Committee on Armed Services)からは情報公開による政治的混乱を回避することが求められ、選挙の終了する同年11月8日以降が情報公開の時期として定められた。国防総省は事前に与野党議員やNATOを始めとする同盟各国等の関係各方面に内密に打診した上で準備を進め、1988年11月10日に会見が行われた。 この時明らかにされた項目は以下の通りである。 アメリカ空軍とロッキード社による開発で、F-117はすでに実用段階となり昼間飛行を行う段階に達したこと 開発計画は1978年に開始されたこと 初飛行日時と1983年に初期運用段階に達したこと この計画は終始、アメリカ議会委員会の特に超党派から支持を受けたこと 機体はV字型尾翼を有する双発機であること 59機の発注がなされ、すでに52機が納入済み トノパー基地の第4450戦術群に配備され、運用段階に移行していること 第4450戦術群には練習機としてA-7Dが20機配備・使用されていること 過去に2機が墜落し、乗員2名が死亡していること この乏しい内容に記者たちは質問を浴びせたが、国防総省の報道官は「ノーコメント」を連発している。回答を拒否した項目は以下の通りであった。 下請け会社・エンジンメーカー 搭載兵装・搭載電子機器 第4450戦術群の任務内容 複座型の有無 外国での作戦参加の有無 下請け会社を秘匿としたのは、そこから情報が漏れることを危惧したためとされる。また、戦術戦闘機という抽象的な任務しか公表していないため、搭載兵装や部隊の任務などは当然ながら極秘とされた。 この発表は「実際の“ステルス戦闘機”はこれまで推測されていたものとは全く異なる外形をしている」ことがメディアを始めとした各方面に大きな衝撃を与えた。なお、F-117の情報が公開された際、アメリカ軍は軍事専門家にF-117の機体形状からレーダー反射効率を推計することを依頼したが、いずれの専門家の回答も実際のF-117のものよりも遥かに大きく見積もられた数値が提示されていたという。これはアメリカ軍が「限定的な情報公開であればF-117の性能や“ステルス機”についての正確な技術情報を秘匿し続けられる」として情報公開に問題なしと判断する根拠になった。
※この「公となったステルス機」の解説は、「F-117 (航空機)」の解説の一部です。
「公となったステルス機」を含む「F-117 (航空機)」の記事については、「F-117 (航空機)」の概要を参照ください。
- 公となったステルス機のページへのリンク