全日本選手権3連覇、四大陸選手権優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:51 UTC 版)
「宇野昌磨」の記事における「全日本選手権3連覇、四大陸選手権優勝」の解説
3連覇を期待される中で挑んだ全日本選手権は、ショート当日の朝の公式練習前にウォーミングアップで右足首を捻挫し、さらに直前の6分間練習でも足を痛めた様子を見せ、ジャンプをほとんど跳ばずに本番を迎えた。そのまま挑んだショートでは冒頭の4回転フリップをはじめジャンプを全て成功させ、ガッツポーズを見せる演技で102.06点を記録し首位に立った。怪我の状態を心配する報道陣に対し宇野は「弱い自分を見せたら大崩れしてしまう。言い訳にしたくないので、フリーが終わるまでは僕の口からは控えたい」として足の状態を一切口にしなかったが、その夜には「痛くて歩けなかった」とのちに本人が語るまでに悪化した。翌日は公式練習をパスして病院でMRI検査を受け、捻挫の診断と「無茶はしても痛いだけで選手生命には響かないと言われた」こと、トレーナーの処置を受け痛みが改善したことからフリー出場に踏み切った。フリー当日の公式練習でもジャンプの着氷が乱れるなどし、コーチ陣からは棄権を勧められたが、本人の意志もあり強行出場。本番では4回転サルコウを3回転サルコウに、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションを3回転ループの単発にするなど構成の難易度を落としたものの、冒頭の4回転フリップと4回転トウループ、4回転トウループ-2回転トウループの3本の4回転を着氷するなど踏ん張り、187.04点を記録。結果はシーズンベストとなる289.10点で優勝を飾り、3連覇を達成した。なおこの大会では、常々「憧れ」と口にしていた髙橋大輔と5年振りの競演となった。 その後、全日本選手権のエキシビションと年明けに予定していたイタリアでのアイスショー出演を見送り、捻挫(靭帯の部分断裂であったことをのちに公表)の治療とリハビリに専念。しかし氷上練習を再開した直後に同じ箇所を再び捻挫、2月中旬にエントリーしていたチャレンジカップ欠場を決め、世界選手権までの試合を四大陸選手権のみに絞ることに決めるも1月の末に3度目の捻挫を負い、極度の練習不足のまま、四大陸選手権出場のためアメリカ入りした。 四大陸選手権では、大会前に宇野は「世界大会で"シルバーコレクター"と皆さんに言っていただいて、満足できる2位、満足できない2位、たくさんあったと思いますけど、1位を目指して頑張りたいと思います」とシルバーコレクター返上を宣言。しかし、右足首の捻挫の影響もあり、ショートでは冒頭の4回転トウループと続く3回転サルコウ-3回転トウループでバランスを崩すなどジャンプにミスが相次ぎ、91.76点でまさかの4位発進となった。しかしフリーでは、4回転サルコウこそ封印したものの、「アメリカに来てから練習を再開した」という4回転フリップを構成に戻し、4回転トウループ2本と合わせた計3本の4回転をすべて着氷。終了直後に氷上に倒れこむ程の気迫あふれる演技を披露し、ルール改正後におけるフリーでの世界最高得点197.36点を記録して逆転優勝を果たした。また、この優勝によりシニアデビュー後4年目にして、念願の国際主要タイトル初の獲得となった。 世界選手権では、91.40点で6位となる。フリーでは、178.92点。合計270.32点、4位となり表彰台を逃す結果となった。 また、シーズン終了後の6月3日、突如所属していた東海グランプリを`卒業`すると発表。5歳から15年以上指導を受けた樋口、山田コーチの元を離れ、海外への拠点変更も視野に入れたうえでコーチ変更の意志を示した。その後、ロシアのエテリ・トゥトベリゼコーチのサマーキャンプに参加することが決定。アレクサンドラ・トゥルソワやアンナ・シェルバコワをはじめ、女子ジュニア4回転時代を切り開いた選手のコーチを務めるエテリだが、男子トップ選手では初めてエテリの指導を受けることになった。 エテリへの師事をするか否かは明らかにされておらず、「新しいコーチは急いで決める必要も無い。20-21シーズンまでに決めたい」と19-20シーズンはコーチ不在のままシーズンへ突入する可能性も示唆した。
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